言葉の贈り物 [著]若松英輔

[評者]星野智幸(小説家)  [掲載]2017年02月12日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:若松 英輔  出版社:亜紀書房

■自分が自分であるための営み

 若松英輔の本を読んでいると、自分が誰なのかわからなくなる瞬間がある。今読んでいる文章を、自分が書いたかのように錯覚するのである。そして、誰が書いたかなどどうでもよくなり、自分という限界から自由になった解放感に満たされる。この奇跡的瞬間は、じつは文学を真剣に読めばどんな人にも訪れる。
 では、文学とは何だろうか。本書によれば、言葉で表せないことを、それでも言葉で書いたもの、となる。
 「人はしばしば、言葉では容易に表現し得ないことを書きたいと思ったりもする。むしろ、そうした思いに心が満たされたとき、書きたいと感じる。書くという営みが本当に起こるとき、それはもともと不可能な出来事への、無謀ともいうべき挑戦なのかもしれない」
 まさにこのくだりで、私は著者と交錯した。
 明快に説明できることは、そのような説明の言語で言えばよい。それでも表し尽くせずに胸の内に残ってしまう説明しがたいものを、時に虚構を交えたり詩の力を借りたりしながら、伝えようとするのが文学というわけだ。そしてそれは、文学作品という形以外でも、個人の日記や手紙や落書きのようなメモの形をとって現れる。つまり、誰もが文学の書き手でありうる。
 その実例が、本書そのものである。仕事での大失敗、親とのこじれた関係、大切な人を失うこと等、さまざまな人生の困難に直面した体験を綴(つづ)りながら、著者はそれを自分の体の一部に変えていく。愛読する書物から言葉を引用することで、言葉を超えるものを示そうと努める。
 私は本書とその姉妹本ともいえる『悲しみの秘義』を、苦しいときに繙(ひもと)く。すると、どこかに自分の心の一部を表す言葉を見出(みいだ)す。苦境にある自分に向き合おうと必死になる心が、文章とシンクロして、先に述べた解放感をもたらすのだ。
 自分が自分であるために、本書を読み、さらに書いてみることを、お勧めする。
    ◇
 わかまつ・えいすけ 68年生まれ。批評家、随筆家。『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』で西脇順三郎学術賞。

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