ロッキング・オンの時代 [著]橘川幸夫

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)  [掲載]2017年02月19日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:橘川幸夫  出版社:晶文社

■才能が交錯した「音楽と私」誌

 すぐれた個性が偶然、集結し、「ロッキング・オン」のような雑誌が生まれた。本書を読んで渋谷陽一の特別さをあらためて理解できたと感じたが、やはり岩谷宏だ。後年、原理主義的なコンピューター思想の伝道者になった。その厳しさは、すでに「ロッキング・オン」の時代からあったと記憶していたが、あらためて本書でその姿を確認することができる。
 渋谷陽一が、本屋で音楽雑誌を立ち読みしてもどれもつまらないから自分たちで雑誌を作ったという意味の痛烈なメッセージを、その頃、どこかで発言していた。まず、この言葉に喚起されたと思うし、音楽そのものとはべつに音楽批評という営みの刺激を「ロッキング・オン」から受けた。それはジャズ批評でも、歌謡曲の批評でもなかった。ロックでなければいけなかった。とはいえ、その頃あった「ロック」が放つ力を、いまはもうその音の響きに感じることはない。音楽が変わったのか。聴くこちら側が変化したのか。音楽産業がいびつに肥大したのか。
 本書は、渋谷陽一、岩谷宏、松村雄策、そして著者の四人を中心にして創刊された「ロッキング・オン」を、著者の視点から描き、一九七〇年代からの読者だった者にとって、その裏面を知るという意味で興味深いが、本来、ここに記されたのはそのような意味ではなく、もっと深い部分でメディア論として、ミニコミ、自費出版雑誌、いまでいうなら「ジン」について書かれているのだと読める。とはいっても、ところどころに挟まれるエピソードの楽しさもあり、メディア論として、エッセイとして上質な読み物だ。
 もちろん、「ロッキング・オン」に限らないが、ある場所を基点に様々な才能が交錯するのはいまも変わらないかもしれないとはいえ、著者が若い時代を過ごした七〇年代、人の繋(つな)がりによって、この国のユースカルチャーのうねりが描かれた物語は、このうえなく面白い。
 なにより、「ロッキング・オン」はその誌名が秀逸だ。「ミュージック・ライフ」や、「ニューミュージック・マガジン」ではなかったのだ。意味はわからなくてもいい。言葉の響きから湧き上がるような思想だ。プロの評論家ではなく投稿を中心としたロック論は、きわめて内省的な文章によって構成されている印象を受けたし、音楽と「私」が語られていたことに、初め、それを読んで戸惑った。わたしのような読者が欲する情報を伝えてくれるのではない。
 奇妙だが、なにより本書を読んで感じたのは、岩谷宏が当時書いたロック論を久しぶりに読みたくなったことだ。
    ◇
 きつかわ・ゆきお 50年東京生まれ。多摩大学客員教授。72年、渋谷陽一らと音楽投稿雑誌「ロッキング・オン」創刊。著書に『企画書』『一応族の反乱』『希望の仕事術』『森を見る力』など。

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