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キャッツ・アイ [著]マーガレット・アトウッド [訳]松田雅子ほか

[評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)

[掲載]2017年02月19日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■透徹した目で憎悪の結晶を解体

 老年にさしかかり、成功を手にした画家イレインは自分の回顧展のため、トロントに戻ってくる。この町は嫌いだといいながら彼女は、ここでの半生の記憶を丹念にたどっていく。子どもの頃から好きだった虫の精密な断面図のように、細部にいたるまで驚くほど克明に。彼女の父は昆虫学者だったのだ——作者アトウッド自身と同じように。
 父の調査のため家族で車に乗り森を移動しつづけた幼少の日々は幸福だった、と彼女は回顧する。トロントへの定住は、人間関係の呪縛の始まりだった。
 イレインの記憶の核にあるのは、子ども時代の「親友」コーデリアやグレイスによるいじめだ。彼女はいじめに負けたわけじゃなかった。自分の知恵で理不尽な関係から抜け出し、乗り越えたのだ。だが憎悪は彼女の内に結晶化し残った。
 彼女の宝物はキャッツ・アイ、透明にひらりと青い猫目模様のビー玉だった。これをポケットに隠して、彼女は透徹した目で周囲をとらえる。力関係や男女差の意味を問い、演技や嘘(うそ)を見抜くその批判精神は、自分に対しても容赦なく発揮される。友達に受けいれられたくて命令に従う情けなさ、年上のダメ男に惹(ひ)かれ三角関係に陥った青春、嫉妬でテレビまでブン投げた最初の結婚、老いを気に病む見栄(みえ)。身もふたもない率直さは、ついには憎悪の結晶も、解体していく。
 科学者の兄スティーブンの話からイレインは、時間は重なり合っていて、消えてなくなるものはないのだと考える。たしかに子どもの彼女も若き日の彼女も、すべて現在の彼女に重なっている。突然理不尽に失われた兄の存在も、この静かに進む一人称の物語の内に消えずにある。だから彼女は愛し、悲しみ、怒り、思いやるが、身勝手な自己憐憫(れんびん)に足をとられることはない。イレインとアトウッドは同じ人ではないけれど、きっと似ている。この名作家の作品群を、いままた読み返したくなった。
    ◇
 Margaret Atwood 39年カナダ生まれ。作家・詩人。『昏き目の暗殺者』でブッカー賞。『侍女の物語』など。

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