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引揚げ文学論序説―新たなポストコロニアルへ [著]朴裕河

[評者]斎藤美奈子(文芸評論家)

[掲載]2017年02月19日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■戦後史の再考迫る植民地の記憶

 戦後の文学史に一石を投じる(と同時に戦後社会への発見に満ちた)目が覚めるような文学論である。
 敗戦後、中国大陸や朝鮮半島などの「外地」から「内地」に帰還した日本人は650万人。うち310万人は軍人、340万人が民間人だった。ちょっと驚く数字である。
 だが「『引揚(ひきあ)げ』という集合的体験——植民地・占領地からの帰還——が学問的な考察の対象となることは最近まであまりなかった」し、戦後の文学界も「引揚げ者による文学に大きな関心を払ってこなかった」と朴裕河はいう。引き揚げ者の中には著名な作家や表現者が少なからず存在したのにだ。それはいったいなぜだったのか。
 著者が命名した「引揚げ文学」とは、日本の戦後文学において「植民地・占領地体験とその後の引揚げの体験を素材とした表現者たちの試み」のこと。なかでも本書が注目するのは、現地で生まれて幼年期をすごし、少年少女時代に日本に帰還した作家たちである。
 五木寛之、本田靖春、三木卓、日野啓三……。とりわけ今日ではほとんど顧みられることのない小林勝と「内向の世代」にくくられた後藤明生の作品(『夢かたり』ほか)への言及は、植民地を語る文学が日本にもあったのだ!と知るうえで感動的ですらある。
 引き揚げ者が置かれた状況は、加害と被害が錯綜(さくそう)する。植民者という優越的な立場から一転、敗戦後は地獄にも似た経験をし、帰還後も日本社会は彼らを温かく迎えはしなかった。一種の「棄民」として大陸に渡った人々は帰還して再び「棄民」となった。こうした体験からある者は沈黙し、ある者は日本に背を向け、ある者は書くまでに数十年の時間を要した。
 「戦後思想は、〈戦争〉を考えるほどには〈帝国〉や〈植民地支配〉について考えてこなかった」という指摘は重い。でもそれは戦後史の見直しという未来につながる重さである。
    ◇
 パク・ユハ 57年韓国ソウル生まれ。韓国・世宗大学校教授。著書に『和解のために』『帝国の慰安婦』など。

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