対面的―〈見つめ合い〉の人間学 [著]大浦康介

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)  [掲載]2017年02月26日   [ジャンル]科学・生物 

表紙画像 著者:大浦 康介  出版社:筑摩書房

■非人称的な時代、個の尊重問う

 「人と人とが対面しているとき、いったい二人のあいだには何が起こっているのか。私はなぜ相手の顔をまじまじと、りんごを眺めるように見ることができないのか」。このシンプルな問いを端緒に、「ガンをつけられ、頭に血が上った」という事件記事から現代哲学理論まで、多彩な論点が本書では扱われている。
 自分のまなざしと相手のまなざしが重なる瞬間、人は相手の目の奥を探ろうとし、両者の間に「対面的磁場」が発生する。これは相手を意識のある対等な存在と見なすからであり、人はリアルなアンドロイドの目にはたじろいでも、稚拙なロボットには反応しない。
 哲学者マルティン・ブーバーは人間相互の「我と汝(なんじ)」という対面的な関係と、人間と物との間の「我とそれ」関係とを対比した。哲学者エマニュエル・レヴィナスもまた、理性による「普遍的な総合の試み」としての認識とは別のところに、人間同士の対面を位置付けた。そこでは顔は視覚の対象ではなく、かけがえのない自己として迫り、「汝殺すなかれ」と倫理的な命令を発してくるものとされるのである。
 著者によれば、そもそも「対面は西洋的」であり、日本のように自他の境界があいまいで「〈個〉のないところには十全な意味での対面もない」。
 しかも、典型的に対面的な戦い方である決闘が西洋でも消滅したように、対面性は衰退の一途を辿(たど)っている。決闘が消えたのは、戦争が高度に機械化されたからであった。同様に、今日のインターネット世界では、匿名性が技術的に確保される中で、無責任な誹謗(ひぼう)中傷が蔓延(まんえん)している。
 非人称的な時代へのこうした移行は、個の尊重という倫理性の喪失につながらないか。気づまりで煩わしくても、他者と見つめ合うことを避けてはならないのではないか。短い文章を集めた、軽妙な「顔」の奥から、本書は重い問いを差し向けてくる。
    ◇
 おおうら・やすすけ 51年生まれ。京都大学教授(文学・表象理論)。著書に『誘惑論・実践篇』など。

この記事に関する関連書籍



杉田敦(政治学者・法政大学教授)の他の書評を見る

この記事に関する関連記事

ここに掲載されている記事や書評などの情報は、原則的に初出時のものです。

ページトップへ戻る

ブック・アサヒ・コム サイトマップ