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騎士団長殺し―第1部 顕れるイデア編、第2部 遷ろうメタファー編 [著]村上春樹

[評者]斎藤美奈子 (文芸評論家)

[掲載]2017年03月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■「穴」にどっぷり、ハルキ入門編

 で、結局、おもしろいんですか、どうなんですか?
 その質問に答えるのはとても難しい。村上春樹はいまや一作だけでは語れない作家になってしまったから。人気がありすぎるのも困ったものだね。
 だけど、もしもあなたがこの機に村上作品を読んでみようと思うなら、本書は最初の一冊にぴったりかもしれない。「これぞ村上春樹!」なサンプルがここには詰まっているからだ。
 語り手の「私」は36歳。肖像画を描く仕事で生計を立てていたが、ある日、妻に離婚をいいわたされる。混乱の中で北海道と東北を旅した後、彼は友人の父(雨田具彦〈あまだともひこ〉という高名な日本画家だった)が建てた小田原郊外の山頂の家に落ち着いた。そこで彼は二つの謎めいたモノに遭遇する。ひとつは「騎士団長殺し」と題された雨田具彦が描いたらしき絵。もうひとつは近隣の雑木林の石の下に掘られた石室みたいな穴だった。
 〈『騎士団長殺し』という絵の中では、血が流されていた。それもリアルな血がたっぷり流されていた〉。一方、穴の付近からは深夜、鈴の音が聞こえてくる。〈誰かがその石の下で鈴のようなものを鳴らしているのかもしれない。救助信号を送っているのかもしれない〉
 このへんで、あなたはすっかり村上ワールドの仕掛けにハマってしまうだろう。アリスが穴に落ちるみたいにね。あとはもう最後まで一気読み。この魔力には誰もあらがえない。
 村上春樹の世界にとって、穴と壁は特別な装置なんだ。嘘(うそ)と思うなら、本書で肩ならしをした後に『世界の終(おわ)りとハードボイルド・ワンダーランド』か『ねじまき鳥クロニクル』を読んでみるといい。穴と壁がどれほど重要かわかるから。
 さて、あなたは『騎士団長殺し』の穴にハマった。待っててごらん。不思議な人物が次々あなたを翻弄(ほんろう)してくれる。
 谷を隔てた豪邸に住む免色(めんしき)さんは50代の男性で、法外な報酬で「私」に肖像画を依頼してくる。秋川まりえは13歳のミステリアスな美少女で「私」と秘密を共有する。そんな人物、いるわけない? いや、いるんだ村上ワールドには。超自然的な人物も存在してるし、ここじゃ時空だって超えられる。
 でも大丈夫。この穴はそんなに深くない。しばらく楽しく遊んだら、あなたは無事地上に戻ってこられるはずだ。テーマパークみたいなものかって? うん、そうかもしれない。いったでしょ、入門編だって。
 謎の日本画。謎の石室。欧州と中国にまたがる戦時の記憶。読者に深読みを要求するアトラクションにはこと欠かない。それだけは保証する。
    ◇
 むらかみ・はるき 49年生まれ。作家、翻訳家。79年『風の歌を聴け』でデビュー。『海辺のカフカ』『1Q84』『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』、随筆『職業としての小説家』など。

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