複数性のエコロジー―人間ならざるものの環境哲学 [著]篠原雅武

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)  [掲載]2017年03月05日   [ジャンル]社会 

表紙画像 著者:篠原 雅武  出版社:以文社

■「技術で解決」からの革命的転換

 最近、現代思想関係者の間でティモシー・モートンの名を聞くようになった。邦訳書がまだない中で刊行された本書は、著者が自分の経験に照らし合わせてモートン思想の読解を試みたユニークな一冊だ。
 モートンのエコロジーは型破りだ。無垢(むく)な自然環境を理想とする従来のエコロジーが人間を環境破壊の元凶とみなし、結果的に人間不在の思想に帰着する。そこにヒトラーの浄化の思想にも通じる危うさをみるモートンは、コントラストも鮮やかに自然から程遠い人工的環境を議論の対象に据える。それは一度作られた原発や高速道路、ニュータウン等をなかったことにはできないと考える醒(さ)めた現実認識の産物ではあるが、決して諦念(ていねん)ではない。
 工学システムは完璧を謳(うた)うが、いやでも老朽化は進み、想定外の事態が起きる。こうして必然的に導かれる「荒廃」は技術的な制御の可能性を安易に信じる価値観の転覆を促す。そこにモートンは勝機をみていると著者は考える。
 たとえば本書の中で著者は千葉県のニュータウンを訪ねている。人工都市を見て回った著者の意識は神奈川県のニュータウンの中にあった高校に通っていた頃に横滑りし、高校の同級生が自殺した時の記憶が召喚される。自分も高校生活から逃れたくて不登校となっていた。そんな自分は彼女の死をどう受け止めたのか——。内省する著者はモートンの求める作法を実践している。環境を操作可能な「客体」とみなさず、「私」の内省に始まり「私」ならざるものへ様々な配慮を及ばせてゆくことこそ真のエコロジー的思考だとモートンは考えた。先に示した「荒廃」の認識も内省を通じて「私」と世界との新しい関係形成に繋(つな)がるのだろう。
 こうしたモートンのエコロジー論は近代社会を支配してきた技術解決主義的発想を乗り越える革命の思想たりえるか。初の本格的紹介書と呼べる本書は、読者の判断を待っている。
    ◇
 しのはら・まさたけ 75年生まれ。大阪大学特任准教授。専門は社会哲学。『生きられたニュータウン』など。

武田徹(評論家・ジャーナリスト)の他の書評を見る

この記事に関する関連記事

ここに掲載されている記事や書評などの情報は、原則的に初出時のものです。

ページトップへ戻る

ブック・アサヒ・コム サイトマップ