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縫わんばならん [著]古川真人

[評者]宮沢章夫(劇作家・演出家)

[掲載]2017年03月05日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■読みの積極性を試される快楽

 企(たくら)みはひそかに仕掛けられている。だからこそ、騙(だま)されたように小説世界に身を委ねる心地よさだ。
 三人の老女について語られる話が地味な印象を与えるのは否めない。端正な文体と、方言を多用した、いかにも文学らしい方法もまた、ことによったら、そっと仕込んだ冗談かもしれない。それに気が付くのはとても難しい。そもそも、「縫わんばならん」というタイトルはなんだ。第二章にいたっては、「あっちゃこっちゃ、うろうろしとったもんばい」だ。繰り返すが、これほどこちらの読みの積極性を試される企みはなく、それはつまり、小説を読み解くことの快楽そのものだ。小説はどのように読んでも構わない。読んでいる途中で老女たちの姿から、小説とは関係のないことを思い浮かべる。意識がどこか遠くに離れ、それで慌てて、いま自分がどこまで読んでいたかページを遡(さかのぼ)って文章を追う。読むことを通じてべつの場所へと浮遊する。ページを繰(く)ることで、何度も言葉を咀嚼(そしゃく)するのも悦楽だ。
 作品は三つの構成によって成立している。
 敬子の生活を書いた章の、時間と空間の変転のめまぐるしい速度、だらだら続くような奇妙な言葉の表現、そうした方法によって敬子の人生を描く文体は、どこか言葉の実験にすら感じさせる。佐恵子の葬儀を描いた第三章では、佐恵子自身を深く語るより、それを取り巻く者ら、親族の者らの現在の姿を、なんでもない筆の運びで、いかにも小説的に描くのもまた奇妙だ。いや、そこにクールダウンがある。試みから穏やかな表現へ。行為をゆったりと描写し終焉(しゅうえん)に向かうのは、人が生きる時間のようだ。テンポの速い目眩(めまい)がするような前半はきわめて魅力的だが、こうして、作者が言葉を記す佐恵子の葬儀の時間に特別な意志を感じる。むしろ、読者はその時間を漂い言葉の世界を体験する。人物に寄り添う。まさに小説の可能性だ。
    ◇
 ふるかわ・まこと 88年福岡市生まれ。国学院大学文学部中退。本作で新潮新人賞受賞、芥川賞候補。

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