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絵画の歴史―洞窟壁画からiPadまで [著]デイヴィッド・ホックニー、マーティン・ゲイフォード

[評者]椹木野衣 (美術評論家)

[掲載]2017年05月21日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■画像の進歩から人の心に迫る
 これほど画像が日常にあふれている時代もない。人は自分がどこにいるのか、誰と一緒か、これから何を食べようとしているかを刻々と撮影し、ソーシャルメディアを通じ、たった今この時も公開し続けている。しかも画像はどんどん鮮明になり、静止画と動画の区別さえ、もはや意味を失った。その総量はいったいどれほどの規模になるのか、見当もつかない。
 だからと言って、絵画までもがなくなってしまうわけではない。それどころか、こうした画像の氾濫(はんらん)を糧にして、絵画は新しい姿に刷新されるに違いない。楽観視だろうか。いや、歴史を振り返れば、そうでないことがわかるはずだ。実際、印刷の発明、写真の登場、映画の隆盛は、どれも世界を写し取ろうとする絵画にとって致命的にも思えた。しかし絵画は滅びるどころか、かえってそこからより多くを吸収してきた。
 だが、その理解のためには、絵画ばかりに焦点をあてた従来の美術史では限界がある。印刷やレンズを通して見た複製的、もしくは光学的な世界、それをフィルムに定着した写真や映画、さらには、網(ネット)状に世界を包んだインターネットまでを「画像の歴史」(本書の原題は『ア・ヒストリー・オブ・ピクチャーズ』だ)に含め、抜本的に捉え直す必要がある。そこにどれほど深い対話が築かれてきたか——それを知らずして本当の「絵画の歴史」は成り立たない。
 たとえば本書では、印画紙を使った写真の発明以前に、光学的装置を使った外界の投影像が、世界を写し取る技術をいかに多くの画家に提供していたかが議論されている。なぜカラヴァッジオやフェルメールにはデッサンが見つからないのか。それは、デッサンによる修練とは異なる絵の描き方が、写真が発明されるはるか前から存在していたからではないのか。美術史に高名を刻む巨匠がそんな邪道に手を染めるはずがない、そんな思い込みこそが、かえって「絵画の歴史」を見えにくくしている。実際には美術史そのものが、写真によってイメージを複製、印刷のうえ比較、配列し直すことができるようになった恩恵の産物ではないか。現代のウェブ環境なら、なおさらだ。そう喝破するのである。
 もっとも、誰もが写真や動画を撮れるようになったと言っても、長く残るものはほとんどない。同様に、絵を描くことは古来、誰にでもできた。しかし現在なお人の心を打つ絵はほんのわずかだ。なぜ、そこに違いが生じるのか。絵画をとりまく数々の技術の革新を追いながら、著者たちは、最終的には人間の手と心、そして目が持つ秘密に迫ろうとする。
    ◇
 David Hockney 37年、英国生まれの美術家。絵画、写真などメディアを駆使し作品を制作。著書に『秘密の知識』▽Martin Gayford 美術批評家、美術史家。

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