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中動態の世界―意志と責任の考古学 [著]國分功一郎

[評者]野矢茂樹(東大教授)

[掲載]2017年05月21日

[ジャンル]人文

表紙画像

■「する―される」関係からの解放

 哲学の本を読む最大の喜びは、それが新しい考え方・見方を示してくれることにある。それによって、いままでの景色が違った見え方をするようになる。新しい世界が開けてくる。
 私たちの生活は何かをすること、また人から何かをされることによって成り立っている。そこには能動と受動の関係がある。ふつうそのように考えるだろう。だが、本書を読むと違う光景が広がり始める。
 かつて「中動態」という言葉があった。私たちになじみの「能動態―受動態」という対は、古代の言語では「能動態―中動態」という対であった。いまは失われてしまったこの語り方を理解するには、「する―される」という捉え方から解放されねばならない。
 例えば「花子が寝ている」という場合、花子は「寝る」という行為をしているのではなく、花子において「寝ている」という出来事が生じているとされる。そして出来事が完全にその主語のもとにあるとき、それは中動態と呼ばれる。他方、「花子が猫を撫(な)でる」のように、出来事が主語である花子から猫に向かうとき、能動態と呼ばれる。
 「誰かが何かをする」のではなく、いっさいを出来事の生起として語り出す。この「中動態―能動態」の語り方を手にして、著者は哲学書や小説を読み解いていく。あたかも、地下迷宮に潜り込み、いにしえの名剣を手に入れた冒険家が、地上に戻り戦いに向かっていくかのようだ。
 私たちもまた、本書から手渡された「中動態」という新たなまなざしで、私たち自身の生活を見直してみよう。すると、「私がなんとかしなくちゃいけない」とか「人がなんとかしてくれる」といった、「する―される」に囚(とら)われた思いから解き放たれてくる。そうしてこわばりがほどけ、自然体になることができたとしたら、それが「自由」というものであるかもしれない。私はいまそんなふうに予感している。
    ◇
 こくぶん・こういちろう 74年生まれ。高崎経済大学准教授(哲学)。著書に『スピノザの方法』など。

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