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モラル・エコノミー―インセンティブか善き市民か [著]サミュエル・ボウルズ

[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)

[掲載]2017年05月21日

[ジャンル]経済

表紙画像

■損得より互恵的価値育む規範を

 本書は、リベラルな市民社会の根本原理の解明を目指すという、凄(すさ)まじく野心的な作品だ。利己心の全面開花が許された近代社会で、「それでも社会秩序が成り立つのは、なぜか」と、ヒューム、アダム・スミス、ベンサムなど偉大な社会科学者が問うてきた。
 なかでも経済学はスミス以来、人間の行動動機の中核に、利己心を据えてきた。制度や政策を設計する際には、利己心をうまく活用するインセンティブ(罰金、報酬など)を組み込むことで、人間や企業を最適状態に導けると考えてきた。
 しかし著者は、そうしてつくられた制度や政策は往々にして失敗すると指摘する。金銭的な損得勘定への還元は、人間が元来もっている責任、義務、利他性といった「市民的な徳」を、かえって弱めるからだ。例えば、罰金による特定の行動の禁止が、「罰金さえ払えばそう行動してよい」と誤って読み替えられたり、インセンティブのもつ「他律性」が、人間の自律性を抑えたりするかもしれない。
 そもそも経済理論は、リベラルな社会が満たすべき最低限の要件、つまり「参加の自発性」(政府による強制があってはならない)と、「選好の中立性」(政府は特定の価値観を押し付けてはならない)を満たしながら、インセンティブ体系だけで社会的最適(「パレート効率性」)を達成しようとしても、失敗することを明らかにしていた。
 著者は、こうしたジレンマを抜け出すには、互恵的で他者考慮的な選好をもつ個人の存在が重要だと指摘する。一定のルール下であれば、彼らに触発されて利己的な個人が協力し、よりよい結果を導き出すよう行動するという。
 立法者は、こうした互恵的で他者考慮的な価値を育み、人々が協力に向かうようルール形成する必要がある、というのが著者の結論だ。世界が抱える挑戦的課題に多くの示唆を与える、ボウルズ渾身(こんしん)の一作といえよう。
    ◇
 Samuel Bowles 39年生まれ。米サンタフェ研究所アーサー・シュピーゲル研究教授。共著に『協力する種』。

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