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植民地の腹話術師たち―朝鮮の近代小説を読む [著]金哲

[評者]円城塔  (作家)

[掲載]2017年05月28日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■言葉の強制、拒否と受容の間

 趣味や仕事で外国語を話したり書いたりすることと、強制的に言葉を押しつけられることは根本的に違うできごとである。
 なにごとかを強制された場合の反応は一般に、拒否か受容の二つにわかれる。
 日本語の学習を拒めば罰せられる。日本語で小説を書けば、日本の植民地政策への賛同者とみなされても文句は言えない。
 太平洋戦争期、日本の植民地で広く生まれた状況である。
 ところでここに、相手の言葉を利用しながら同時に拒否するという、もう一つの道がある。相手の不当を訴えるためにも相手の言葉の中で活動する。
 これはもちろんとても危険な行為であって、まず相手の言葉にとりこまれてしまう可能性が生じる。そうして、身内からは裏切り者とみなされる。
 韓国での事情がさらに入り組むのは、この時期が近代小説の形成期にあたったことである。
 本書で取り上げられている作家の一人、金東仁はこう回顧する。「構想は日本語でやるから問題にならないが」、朝鮮語で小説を書こうとすると多くの問題に直面する。
 これはもちろん、日本語が近代小説に直面したときの苦しみと似ているのだが、ことはよりやっかいである。
 本書に出てくる、日本語、英語まじりの韓国語小説や、ハングルでルビの振られた漢字やひらがな、カタカナの入り組みにその一端をうかがうことができる。本書はそれらをさらに、日本語に翻訳したものであるという点も重要である。
 言いたいことが言えないという状況は、自分の言葉の中で暮らしていると意識しにくい。国語が制度として定められ、小説の書き方が発明されたものだということはつい忘れられがちである。
 自国語を他国語として眺めることは困難だ。
 本書はその貴重な実例から組み立てられている。
    ◇
 キム・チョル 51年、ソウル生まれ。延世大学名誉教授(国文科)。『抵抗と絶望 植民地朝鮮の記憶を問う』。

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