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王妃たちの最期の日々 上・下 [編]ジャン=クリストフ・ビュイッソン、ジャン・セヴィリア

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2017年06月11日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■国境も越えていく波乱の生涯

 ヴィクトリア女王のような例外は別として、皇帝や国王のほとんどは男性だった。皇后や王妃は皇帝や国王ほど権力をもたず、目立たなかったように見えなくもない。しかし彼女らの生涯は、時として男性の皇帝や国王以上に波乱に富んでおり、その劇的な最期が人々の記憶にとどまることもあった。
 本書は、古代から現代までのヨーロッパで活躍した女帝や皇后、王妃20人の生涯を、とりわけ最期に焦点を当てて描いたものである。一読して気づくのは彼女らの多くが他国から嫁いで来たり、複数の国々の王妃になったりしていることである。たとえ近代国家が確立されても、彼女らは国境の壁をやすやすと越えることができた。中国大陸や朝鮮半島や日本を中心とする東アジアの国々ではまず考えられないことであった。
 妻は家内で夫に仕えるべきだとする儒教の影響が強かった中国や朝鮮の王朝では、女性の外出自体が厳しく制限された。日本の皇室でも、古代や近代以降を除けば女帝や皇后は都の外に出なかった。しかしヨーロッパでは、王妃や皇后らがしばしば大規模な移動や旅を繰り返したばかりか、その途上で生涯を終えることもあった。
 例えば、オーストリアのフランツ=ヨーゼフ皇帝の弟の妃であるシャルロッテ・フォン・ベルギエンは、夫とともに大西洋を横断し、メキシコで皇后になっている。フランツ=ヨーゼフの皇妃エリーザベトは、旅先のスイスのレマン湖で無政府主義者に刺される。ロシアのニコライ2世の皇后アレクサンドラ・フョードロヴナは、ロシア革命後に家族ともどもシベリア各地に移送されたあげく、エカテリンブルクで射殺される。
 その一方で、女性が男性並みの権力をもつことを忌避しようとする風潮は、洋の東西に共通していた。ローマ皇帝ネロの母アグリッピーナは、元老院の討議を戸口の後ろで聴いていた。これは中国や朝鮮で幼少の皇帝や国王の母が簾(すだれ)の後ろで姿を隠して政治を行った「垂簾(すいれん)聴政」に似ている。ロシアの女帝エカチェリーナ2世の息子パーヴェルは、あまりに絶大な権力をもった母に反発し、母の死後に皇位継承法を改変して女帝が現れないようにした。こうした母子に代表される女性と男性の確執もまた、中国の西太后と光緒帝や、日本の貞明皇后と昭和天皇などの間に広く見られた。
 本書で描かれた女帝や皇后、王妃の生涯を、東アジアの女帝や皇后、王妃と重ね合わせることで、従来のような男性主体の世界史とは異なる視座が与えられる。もう一つの『王妃たちの最期の日々』が書かれなければならないゆえんである。
    ◇
 JeanーChristophe Buisson 仏「フィガロ」誌副編集長。バルカンとスラブ世界の専門家▽Jean Sevillia 同副編集長で歴史雑誌「フィガロ・イストワール」学術顧問の一人。



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