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中国文化大革命「受難者伝」と「文革大年表」―崇高なる政治スローガンと残酷非道な実態 [共編共著]王友琴・小林一美・安藤正士・安藤久美子

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2017年06月25日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■道徳心を腐敗させた「人民専政」

 文化大革命(文革)は、現代中国の最大の傷である。ある年代以上の中国人の心底には、今なおその悲劇が沈殿していて、私自身、「あの時代は悪夢というより地獄でした」との言を何度も聞いた。
 アメリカの大学で研究生活を続ける中国人・王友琴が、文革時の「人民専政」は「中国人の道徳心に対して極めて大きな腐敗」を生んだとの視点で、受難者六五九人の実態を調べた。その書の翻訳(主要部分を抜粋)を第一部に、そして二人の日本人研究者が長年かけて完成させた文革年表を第二部に据えている。
 第一部では教育関係者が紅衛兵によってすさまじいリンチを受けての絵図が語られる。たとえば北京師範大学付属女子中学副校長の卞仲耘(べんちゅううん)は教育界の最初の犠牲者、一九六六年八月に棍棒(こんぼう)で際限なく殴られ、全身傷だらけで死んだ。罪状は「党の階級路線に反対」「毛主席に反対」などの理由、しかし地震の折にどの教室にも飾ってある毛沢東像を持ち出さず、生徒たちに早く教室外に出るよう命じたという程度のこと。
 紅衛兵に家族ら五人が虐殺された北京の高級技術者黄瑞五は、たまたま自宅から空薬莢(やっきょう)一個が発見され、銃の私蔵を疑われ全員が斬殺された。「黄家の五人は、みな三時間以内に殺された」「一九六六年八月の北京では、これは特別なことではなかった」と王友琴は書く。
 銃殺刑にされた北京大学の学生顧文選(こぶんせん)は、反革命分子とされて死刑判決、銃殺された。その理由は明示されておらず、「我が党と社会主義制度を攻撃した」というだけ。こうした個々の例により、約一七二万人以上の犠牲者の残酷な死や自死の実相が浮かびあがる。
 第二部の文革年表は六五年から八一年まで日付ごとにまとめている。私は六六年四月の北京での「燕山夜話」批判時に文革の流れを認識したが、すでに歴史の軸が動いていたと確認できた。貴重な年表である。
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 おう・ゆうきん 52年生まれ。17歳で下放。のち渡米。こばやし・かずみ、あんどう・まさし、あんどう・くみこ

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