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アール・ブリュット―野生芸術の真髄 [著]ミシェル・テヴォー

[評者]椹木野衣 (美術評論家)

[掲載]2017年07月09日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■抵抗と闘争を続ける表現者

 本書は、日本でもこのところ頻繁に見掛けるようになったアール・ブリュットをめぐる古典的な一冊。フランスの画家ジャン・デュビュッフェが、それまでの体制順応的な美術に飽き足りず、1945年に着想した。その担い手は、既存の美術界とは無縁の天涯孤独な監禁者や、他人の目には見えない精霊に導かれた霊媒たちで、堅苦しい学問的な定義などない代わり、その種が撒(ま)かれる領野は、きわめて広範囲にわたっていた。
 ところが、私たちが目にするアール・ブリュットは、知的障害を持った人たちが、滞在する施設の利用時間を使って作ることを指導された絵や工作に限定されすぎていないか。無垢(むく)の芸術といった形容が施されることも少なくない。しかし、この分野の原点であるデュビュッフェによるコレクションの管理、運営、収集を一任されてきた著者の考えは、大幅に異なっている。
 アール・ブリュットとは、そのまま訳せば「生の芸術」となる。だが、翻訳者がサブタイトルで補っているように、実際には無垢よりも野生のほうがはるかに近い。無垢(ナイーヴ)なだけでは抑圧的な社会的制度を前に無力だが、野生(ワイルド)な者は既存の価値観に容易には順応せず、最後まで抵抗し続けるからだ。事実、本書で核心に据えられている表現者たちは、極度の貧困や孤独といった劣悪な環境下、まったく独自なやり方で描くことや作ることを再発見し、気の遠くなるような時間の積み重ねのなかから、有無も言わせぬかたちで自己を取り戻していく。
 それは、あらかじめ権威づけられた制度のなかで、どのような地位を占めるかばかりに奔走する文化・芸術からは、もっとも遠いところにある。たとえば、生産活動から切り離され、社会的にも負の側面ばかりが語られがちな高齢者たちは、その有力な担い手になりうると著者は説く。アウトサイダー・アートとも呼ばれるゆえんである。
 だが、日本でのアール・ブリュットをめぐる近年の奇妙な足並みの揃(そろ)い方を見ていると、デュビュッフェの思いとはまったく逆の方向に進んでいないだろうか。公立の美術館で立派な展覧会が開かれ、アール・ブリュットの専門家がおおやけにその価値を説く。半面、もともと備わっていたはずの抵抗や闘争の側面はどんどん切り落とされる。そこに、間近に迫ったオリンピック・パラリンピックをめぐる国や自治体によるアール・ブリュットの政策芸術化が進行しているのを忘れてはならない。
 刊行から40年以上経ての翻訳は遅きに失した感がなくもないが、これを機に和製アール・ブリュットの濫用(らんよう)に歯止めがかかることを期待したい。図版多数。
 評・椹木野衣(さわらぎのい)(美術批評家・多摩美術大学教授)
    ◇
 Michel Thevoz 36年生まれ。スイス・ローザンヌ大卒業後、州立美術館員を経て、ローザンヌのアール・ブリュット・コレクションの館長を務める。著書に『不実なる鏡 絵画・ラカン・精神病』など。

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