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ある日の彫刻家―それぞれの時 [著]酒井忠康

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2017年07月23日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■思索へ、胸ときめく言葉と物語

 芸術家は朝、目覚めと同時に「さて、今日は何をつくろう?」と思案するが、職人は昨日も今日も明日も作るものが決まっている。佐藤忠良は「同じ作品をつくる」職人を自認するが、彼はそれを警戒していたと著者は推察する。僕が佐藤に求めるのは革命的な芸術表現の実践ではなく、著者の言う「人間探求の場」としての創造行為である。
 片や李禹煥は作風も素材も思考も佐藤と対極。「肉体は動いていなければならない」、動きながら自分という余計な枠を解き放って、知性と感性を超えた時間と空間を体感しながら普遍的な個を目指す、芸術の根本原理を探究する形而上(けいじじょう)世界へと上昇する作家だと思う。
 このような対極にある作家をも訪ね、創造の現場に入り、個展会場を旅しながら、語り、書き、読み、探りながら自己洞察する本書の著者の例を見ない批評エッセイに僕は上質の物語を見る。そして次第に作家に対する興味と同様、時にはそれ以上に、著者への人間探究に関心が移っていくことに気づき始める。
 全ての作家との「刺激的な出会い」(著者)にも参入したいところだが、時間(?)がない。ところで本文で、作家と作品に触れる寸前(?)に著者の広範にわたる読書体験から様々な〈言葉〉がエピグラフとして引用されているのに気づきましたか。
 例えば吉田一穂、リルケ、タゴール、ニーチェ、萩原朔太郎、西田幾多郎、スナイダー、スピノザ、レヴィ=ストロース等。これらの人物の〈言葉〉が、これから出会う彫刻家に期待させ、同時に著者の思索がエピグラフの暗示によって、さて如何(いか)なる出会いのドラマに遭遇するのだろうかと想像するだけで胸がときめく。
 読者と著者の同行二人、「ある日の彫刻家」を訪ね、「それぞれの時」の贅沢(ぜいたく)な至福の時間の中で、言葉の時空を漂流しながら著者の身体を通したインタレスティングに触れるのもお忘れなく。
    ◇
 さかい・ただやす 41年生まれ。世田谷美術館館長。美術批評家。著書に『鞄に入れた本の話』など。

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