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間取りと妄想 [著]大竹昭子

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2017年07月30日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■見取り図に浮かぶ心のさざ波

 同じ間取りの家が一カ所に集まる団地で人生の大半を過ごした私は、間取りがそこに住む人々の意識を規定することに敏感にならざるを得なかった。「誰もが同じ」という強い平等意識は、団地という同質的な空間でこそ最もありありと実感されたからだ。
 大竹昭子もまた間取りと住民の意識の関係に敏感な作家である。しかし本書には、団地のような規格化された間取りは一つも出てこない。舞台として描かれる13の間取りすべてが、ほかに存在しないと思われるほど個性的だ。それら自体も著者自身の妄想なのだろうが、著者はさらに妄想を重ねて、それぞれの間取りにふさわしい13の物語まで書いてしまったのだ。
 各物語の登場人物と間取りの関係は一様でない。はじめから間取りが気に入った上で入居する場合もあれば、逆に入居してから間取りのおかしさに気づく場合もある。訪れた他人の家の間取りのおかしさに魅せられる場合もあれば、逆に迷い込んでなかなか外に出られない場合もある。各物語の冒頭には必ず見取り図が掲げられているから、読者は文章と図面を絶えずにらめっこするような体験を味わうことになる。
 これは実に不思議な読書体験である。普通の小説のように、活字だけからあれこれと想像するわけではない。本来ならば見られることのない他人の生活ばかりか、その人の頭の中までもが見取り図から浮かび上がってくる。ただの図面が著者の文章を通して官能的に見えたり猟奇的に見えたりするのである。
 団地という同じ間取りの集合体から生まれたのは、社会主義にも通じる平等意識だったとすれば、本書のような個性的な間取りから生まれるのは、主義一般に決して還元され得ない個人の心のさざ波のようなものである。各物語は短編であるため、かえって余韻が残りやすい。読者もまた図面を見ながらしばし妄想に浸ることになろう。
    ◇
 おおたけ・あきこ 50年生まれ。小説や写真評論、書評、エッセーなど多彩に執筆。小説に『図鑑少年』など。

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