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死後の世界―東アジア宗教の回廊をゆく [著]立川武蔵

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2017年08月13日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像

■私はどうなる? 知りたくて

 死者を身近に感じながらの生活や創作は僕にとっては必須条件です。ここが自分の終(つい)の棲家(すみか)と信じたわけではないが自分の墓を建てました。墓は死を想う(メメントモリ)装置としては名案です。
 死は人類にとっても最も関心の高い観念でしょう。本書『死後の世界』は何らかの解答を与えてくれるでしょう。帯文には「死んだ後、私はどうなるのか?」と疑問を呈します。
 まさか〈死んだら無です!〉と、そう簡単にいのちの問題を切り捨てて、知の彼方(かなた)に雲隠れを決め込んでしまう知識人の常套(じょうとう)手段には騙(だま)されまへんでェ、と手を塩で清めながら僕は本書に向かいました。
 著者は自称仏教徒であり仏教学者である。本書は比較宗教学の視点から「仏教とヒンドゥー教の伝統の中で死というものがどのように考えられてきたか」を考察する。インドのヒンドゥー教寺院には位牌(いはい)、骨壺(こつつぼ)、お墓が見当たらない、など著者が歩いた東アジアの事例が紹介されている。ここでは、神や霊魂が実在するかどうかは問題としない。宗教というのは人間の文化的な営みだということを考えさせる本である。
 だからか、著者個人は「『死後の世界とは何か』、そういったことを私はあまり考えない」と述べる(でも本書は死後について考える書ではなかったのかな?)。さらに「輪廻(りんね)を信じたいと思う人が多くなっている」一方、「輪廻説を文字通り信じている人はほとんどいない」(オヤオヤ)。輪廻は死にたくても死ねない「絵空事」とも記し、「死んだ後の私の一番の問題は、火葬場の火の熱さ」だと、冗談のような現世的な肉体感覚に話は及び、輪廻は非科学的だと否定する。
 ちょっと、マ、待ってください。浅学な僕ですが、これじゃ、生物、非生物を問わず輪廻は自然界の営みの中で繰り返す自然の摂理ではなかったのか。つまり人間だけが特別な存在として輪廻はしないのですか?
 輪廻とは一度死の関門を通過した非解脱者の魂が一定期間を経て再び現世に転生するものとばかり、いつの頃からかそう信じていました。が、宗教学の専門家である著者は死後生も輪廻転生も信じておられない。ただ僕は職業柄、本能的に肉体(脳化された肉体)が発する内なる霊感(インスピレーション)の声に従ってきました。従って死が知的、唯物的に証明されなくとも、死に内在する意識(魂)のような存在は僕のDNAの中の記憶として、実感しています。仏教徒であり、仏教学者の著者には弟子の疑問だと思ってください。僕は僕の直感に今後も従いながら、たとえ非科学的であろうと、魂の存在を認め、「死後の世界」に親和性を求め続けることになるでしょう。
    ◇
 たちかわ・むさし 42年生まれ。国立民族学博物館名誉教授。『仏とは何か』『空の実践』など著書多数。本書は名古屋のカルチャーセンターの講座「宗教といのち」で語った講義がもとになっている。

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