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シュレーディンガーの猫を追って [著]フィリップ・フォレスト/原理―ハイゼンベルクの軌跡 [著]ジェローム・フェラーリ

[評者]佐伯一麦 (作家)

[掲載]2017年08月13日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■量子力学が生んだ文学的想像力

 量子力学をテーマとした仏小説の翻訳が相次いで出版された。不確定性原理を基礎とする量子力学は、半導体などに応用され、相対性理論とともに現代物理学の根幹をなしている。不確定さを増し、現実と仮想の区別がつき難くなっている現在の世界状況の中で、その理論が文学的な想像力を刺激するのだろうか。
 量子力学の確率論的なパラドックスを説明する“シュレーディンガーの猫”という思考実験がある。蓋(ふた)のある箱に、猫、ラジウム、ガイガーカウンター、青酸ガスの発生装置を入れる。ラジウムが崩壊するとガイガーカンターが感知し、それがスイッチとなり青酸ガスが発生して猫は即死する、という仕組み。一時間以内にラジウムが崩壊する確率が50%だとすると、一時間後に箱を開けたときに猫が生きている確率も死んでいる確率も半々となり、箱の中の猫は、生きている状態と死んでいる状態が重なり合っている、という解釈となる。
 この“猫”を巡っての思索が綴(つづ)られるのが『シュレーディンガーの猫を追って』。パラレル・ワールドへの言及もあるが、それよりも娘の死を契機として小説を書き始めたという著者から、悲劇に見舞われた者が問わずにはいられない、他にもあった可能性の中でなぜこの現実なのか、という切実な思いが読み取れた。
 一方の『原理』は、23歳で不確定性原理の端緒を開いたハイゼンベルクの人間像を二人称で描く。物理学の抽象的な美しさを数式に拠(よ)らずに表現するという困難と対峙(たいじ)しつつ、千両役者揃(ぞろ)いだった1920年代の物理学界と、ナチスの台頭から原爆開発へと向かい、科学者の倫理的責任が問われた歴史的ドラマが語られていく。バッハのシャコンヌ(ハイゼンベルクはピアノの名手だった)や詩のイメージも借りた絶妙な隠喩に魅了され、ラストで、「あなた」と、変容する「わたし」とが合流する運びの見事さに息を呑(の)んだ。
    ◇
 Philippe Forest 62年生まれ。作家、仏ナント大教授▽Jerome Ferrari 68年生まれ。仏の作家、翻訳家。

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