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江戸・明治―百姓たちの山争い裁判 [著]渡辺尚志

[評者]市田隆(本社編集委員)

[掲載]2017年08月20日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■生活の糧を懸けた人間ドラマ

 山野の境界をめぐって争った百姓たちの歴史を、江戸時代の裁判を中心に解説する本書は、人間ドラマの魅力に満ちている。知略を尽くして闘う姿は「百姓」のイメージを一変させた。
 江戸時代の人口の約8割は百姓だという。多くの日本人の先祖が、武士に隷属するだけの物言わぬ民ではなく、したたかに生きてきたことが分かるのだ。
 現代も土地の境界線をめぐるトラブルは絶えないが、本書によると、江戸時代の山野の利用・所有権は村にとって死活問題。百姓たちは肥料、建築資材、燃料、食料を山野から得ており、その価値は現代と比較にならないほど大きい。
 裁判という紛争解決が定着する前の、中世から江戸初期のやり方がすさまじい。神仏の意思を問うとして、双方の村の代表が熱湯に手を入れたり、焼けた鉄棒を触ったりした結果、ヤケドの程度が軽い方が勝ちという過酷なものだった。
 武士が裁く裁判では立ち会う弁護士がいないため、村役人らは訴状にもとづき自ら権利を主張する。将来に備えて村の子どもに寺子屋で訴訟関係文書を学ばせる。地元で解決できない争いが江戸の幕府評定所に持ち込まれたら、多額の旅費などの負担に耐える。評定所で強硬に示談を迫る幕府役人に抗弁して入牢を命じられることもあった。著者が全国各地の古文書を読み解いて紹介する、山争いにかける百姓たちの意気込みには鬼気迫るものがある。
 さらに、大名にとっても、他領の村との山争いによる山野の境界変更は領地の増減につながる重要問題だった。百姓とタッグを組んだ武士が百姓に扮して裁判で主張することもあり、裁判劇の興趣が尽きない。
 著者は、百姓たちが山争いによって確保した山野の自然と長い間共生してきたゆえ、「日本列島の約七割におよぶ森林」保護が成されたと結ぶ。本書の引用史料はすべて現代語訳。百姓たちの知恵の深さをわかりやすく堪能できる一冊だ。
    ◇
 わたなべ・たかし 57年生まれ。一橋大学大学院教授(日本近世史・村落史)。『百姓たちの幕末維新』など。

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