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コンプレックス文化論 [著]武田砂鉄

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2017年09月24日

[ジャンル]社会

表紙画像

■運命とみるか?けっとばすか?

 コンプレックスはコレステロールみたいになくても困る、多くても困る程度のまあ生活必需品だと思えばいいのです。皆、コンプレックスを抱えて社会の土石流の中を渡ってきて、気がついたら向こう岸に立っていた。
 本書は、天然パーマ、下戸、一重まぶた、背が低い、ハゲなどなど身体的欠陥のイリュージョンに悩む人たち10人と著者との対話による文化論(?)で、コンプレックスを露呈したり、時には礼賛しながら、結構、コンプレックスを飼育している。僕だって似たり寄ったりのプロセスを踏んできたのでよーく分かります。
 60年代のN・Yにはアフロヘアが流行(はや)り、ジミヘンやディランのコピーが通りを埋め、韓流スターの男優はほぼ全員が一重まぶた。チャプリンもキートンも小さいのが才能。スキンヘッドだって流行のファッションだった。何も恐れることはない(別に恐れていないか?)。僕もこの場を借りてコンプレックスについて考えてみた。
 コンプレックスは、まず、脳と身体をひとつに結びつけ、身体を脳の支配下に置いたところに問題があるのではないか。コンプレックスとは一種の思い込みが発生させた。脳と身体を一体化させたことが間違いだ。
 脳は悩み苦しみ、悲しみ、迷うのが大好きだ。脳に対して身体は、それ自体の存在に常に忠実であろうとする。身体は脳のように感情に支配されることはない。身体はそれ自体に従おうとする特性がある。そんな身体が脳の属性であるという思い込みがすでにコンプレックスを創造する。脳が勝手に「俺はチビだ、ハゲだ」と決めつけたに過ぎない。そんな脳を身体が蹴っ飛ばせばいい。脳が自分だと思う前に身体こそ「我なり」と認めればいい。
 それができないのなら、あなた、あなたのコンプレックスは運命だと諦めて下さい。でなきゃ「脳はNO!」と喧嘩(けんか)を売ればいい。まあ、ご随意に。
    ◇
 たけだ・さてつ 82年生まれ。出版社勤務を経て14年からフリーライターに。著書に『紋切型社会』など。

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