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三遊亭円朝と民衆世界 [著]須田努

[評者]サンキュータツオ(お笑い芸人、日本語学者)

[掲載]2017年10月01日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■噺に映る明治の欲望と暴力

 天保10(1839)年生まれ、明治33(1900)年に没した三遊亭円朝は落語界中興の祖である。20代で「怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)」などを創作。速記者に口演を記録させベストセラーを生み、言文一致運動をはじめ、子規や漱石をはじめ明治以降の文学者たちにも多大な影響を与えた。外国作品を翻案した「死神」なども手掛け、作品群も膨大だ。ゆえに、円朝には膨大な先行研究がある。文学、芸能、演劇史などの研究の合流地点だ。しかし本書は歴史学、とくに民衆史という観点から円朝に切り込んだ点が新しい。
 時代の転換点にあり、落語・講談が明治政府から公序良俗に反するものとされかけた時、円朝は自ら政府に歩み寄り、噺(はなし)家一同に民衆の教導者であることを促し、言葉遣いに至るまで注意喚起した。当時東京に200軒以上存在した寄席は、テレビやラジオがない時代、最大のメディアだ。そこに政府が関与してくるのだから、対応しなければ即営業停止である。この国家と娯楽の関係は今も昔も変わらない。円朝は寄席芸人のリーダー的存在として、いわば小言爺(じじい)になりつつ、さらに「塩原多助一代記」を創作し、立身出世物語を展開して国家公認の落語家となったわけである。これをもって、文明開化に妥協し権威主義となった人物とみなす研究者も少なくない。実際は落語家の社会的地位は向上し、結果として落語を守ったともいえる。が、それは政治家としての円朝であり、演者・創作者としての円朝の本質を捉えてはいない。
 本書は、円朝の創作した噺の数々は必ずや当時の民衆の心を掴(つか)んでいたにちがいないという観点で、作品の成立背景や創作意図を読み取るだけでなく、噺のなかに当時の人々の生き方や意識をみてとる。噺のなかでの「欲望」と「暴力」の描き方にそれがあるというのだ。たしかに「塩原多助一代記」を創作した同時期に、「業平文治漂流奇談」という、欲望と暴力に満ち溢(あふ)れた作品も創作している。明治政府になっても国内には暴力がはびこり、社会情勢は不安定だった。円朝は体裁としては体制に従うようにふるまいながら、同時に民衆の心を掴む欲と暴力の噺を提供し、自己実現をしていた。それは客と演者という双方向の関係が望んだ帰結だった。噺は観客と創るものだからだ。そして晩年に「文七元結」という江戸の粋(意気)と義理人情を描いた作品を残していく。
 メディアのなかで、民衆と政府やスポンサーといった「顧客」が望むものを提供し続け、自己実現を果たしていく円朝の姿に、穏やかな気持ちではいられない。
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 すだ・つとむ 59年生まれ。明治大教授(民衆史)。著書に『「悪党」の一九世紀』『イコンの崩壊まで』『幕末の世直し 万人の戦争状態』『吉田松陰の時代』など。

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