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親鸞と日本主義 [著]中島岳志

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2017年10月01日

[ジャンル]人文

表紙画像

■なぜ「国体」に取り込まれたのか

 親鸞といえば、阿弥陀仏のみを信仰し、その信仰を世俗のいかなる価値よりも上位においたため、師の法然とともに流罪となった人物として知られている。その信仰を徹底させれば、国家主義が強まった昭和初期にあっても、世俗に流されることなく、国家に対する批判的な姿勢を保つことができたはずである。
 ところが本書によれば、全く逆であった。右翼団体「原理日本社」に属した三井甲之(こうし)や蓑田胸喜(むねき)、あるいは作家の倉田百三や亀井勝一郎ら、親鸞に魅せられた多くの人々は、「絶対他力」「自然法爾(じねんほうに)」という親鸞の思想を都合よく解釈して、「国体」を正当化しようとした。さらには阿弥陀仏の「他力」を天皇の「大御心(おおみこころ)」に読み替えようとした。それは真宗大谷派のような教団の幹部であっても例外ではなかった。
 本書の魅力は、親鸞の思想を人生の指針に据えていると公言する著者が、半ば忘れられた思想家や作家の言説にあたりつつ、なぜこうした矛盾が起こったのかを正面から問い直そうとしたところにある。著者によれば、三井や亀井らは必ずしも親鸞の思想を曲解したわけではない。なぜなら、親鸞の思想自体のなかに、国学を大成した本居宣長にも通じる、後の国体論につながりやすい構造があったからである。
 ただ本書には言及がないものの、真宗大谷派の竹中彰元(しょうげん)のように、昭和初期にも親鸞の思想に忠実たらんとして反戦活動を続け、検挙された人物がいたことを忘れてはならないだろう。たとえその数が少なかったとしても、本書に登場する人々とは異なる思想を、親鸞が提供していた可能性は捨てきれまい。
 本書では、親鸞自身が残した著作が引用・参考文献に全く挙げられていない。親鸞の思想と国体論の関係を解き明かすためにも、いったん鎌倉時代にさかのぼり、原典そのものに立ち入って分析する必要はなかっただろうか。
    ◇
 なかじま・たけし 75年生まれ。東京工業大教授(近代日本政治思想)。『ナショナリズムと宗教』など。

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