書評・最新書評

アリ対猪木―アメリカから見た世界格闘史の特異点 [著]ジョシュ・グロス

[評者]椹木野衣 (美術評論家)

[掲載]2017年10月01日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■未知の世界性はらんだ「凡戦」

 1976年6月26日、中学生の私は土曜の半日授業が終わると家へ走った。ボクシング世界ヘビー級覇者モハメド・アリと日本最高峰のプロレスラー、アントニオ猪木の世紀の一戦を、テレビで目撃するためだ。
 だが、壮絶な試合を期待していた私は、唖然(あぜん)とするほど盛り上がりに欠ける展開に肩を落とした。猪木は床に寝そべり続け、アリもまともにパンチを繰り出すことなく試合は終わった。
 なぜだろう。本書でも詳細にわたって取材されている通り、本当の真剣勝負はアリが絶対に負けないためのルール作りにあった。ボクシングにはボクシングの、プロレスにはプロレスのルールがある。無視したらただの喧嘩(けんか)だ。
 どんなスポーツでもルールの改変は絶え間なく行われている。アメリカの黒人でムスリムの英雄アリと、ボクシングからはショーとみなされていた無名の日本人プロレスラー、猪木との「格闘技世界一決定戦」なら、なおさらだ。実は、あの「凡戦」こそ真剣さの証しだった。だが、それは国内の「伝説」であって、アメリカでは認知されぬことと思っていた。それを、アメリカのジャーナリストがこんな本格的な一冊として世に問うとは驚きだ。
 その目線は両雄をめぐる国際政治にまで及ぶ。イラクがクウェートに侵攻した90年、前年にスポーツ平和党から出馬し参議院議員になっていた猪木はイラクを訪れる。かつての敵アリも続く。人質解放交渉のためだ。あの試合に端を発する猪木ならではの異種格闘技的な横断性が発揮されたのだ。その余韻が先日の北朝鮮への電撃訪問にまで及んでいるのは記憶に新しい。
 やはり、あの試合には未知の世界性が孕(はら)まれていた。他方、打撃と組み技の交錯は「総合格闘技」となり、世界中で探究されるジャンルへと昇華されていく。つまり、真に「特異点」だったからこそ、誰にも気がつけないような「凡戦」だったのだ。
    ◇
 Josh Gross 米国の格闘ジャーナリスト。スポーツ・イラストレイテッド誌、英ガーディアン紙などに寄稿。

関連記事

ページトップへ戻る