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きょうの日は、さようなら [著]石田香織

[評者]佐伯一麦 (作家)

[掲載]2017年10月01日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■実感に即した言葉、拾い集める

 小説でしか表し得ない世界を現出させるために、ともすれば新人作家は、言葉を過剰に用いたり、現実をグロテスクに誇張して描いたり、深読みを誘引するかのように韜晦(とうかい)したりする。そうした野心に満ちた新人たちの主潮の中に置くと、本作は一見、エンターテインメントの技法で書かれた人情ドラマ風の小説と見えることは否めない。
 ライトノベルを思わせる題名を目にして最初に抱いた予感も、それに近いものだった。だが、冒頭近くで、主人公のキョウコが、5歳の頃に病気で亡くなった母親の固く閉じられた唇に、隣のベッドの老婆にもらった飴(あめ)玉を押し込もうとした記憶を辿(たど)るところから、一気に引き込まれた。
 キョウコが小学2年の夏に、父がスミレさんと再婚し、その連れ子の1歳年上のキョウスケと血のつながらない兄妹となって家庭の団欒(だんらん)を知るが、数年後にはスミレさんもキョウスケも姿を消してしまう。それから年月が経ち、20代半ばとなったキョウコは、「南北」を「海側か山側」で表現する神戸とおぼしい街で、事務員として働くようになっている。住まいの近くには大きな風俗街があり、その界隈(かいわい)で暮らす妹思いのオカマのバー経営者やソープランド嬢、キョウスケの父親のことを知っている声が酒焼けした老婆、再会したキョウスケなどとの関わり合いが、関西弁を活(い)かした会話で演劇的に描かれる。
 しかし、軽みとユーモアのある作風の底には、世の中の片隅に目立たないながらも確実に存在している、生き難さを抱えた人々の実感に即した言葉を、作者が元手をかけて拾い集めた手応えがある。キョウコとキョウスケの間に性愛の関係がなく、キョウコの職場結婚の経緯やスミレさんとの再会のくだりが激しい感情を排した淡い筆致で描かれているのも、受け身の運命を背負っている境遇と、神戸の震災後の失感情とが綯(な)い交ぜとなった人物像の表現として得心がいった。
    ◇
 いしだ・かおり 76年生まれ。神戸市在住。会社勤務の傍ら、96年から創作を学ぶ。本作で作家デビュー。

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