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岩塩の女王 [著]諏訪哲史

[評者]蜂飼耳(詩人・作家)

[掲載]2017年10月08日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■言葉発する行為、正面に見据え

 言葉を一つ一つ確かめながら綴(つづ)る。書いては消し、消してはまた書く。そうした営為、言葉を連ねていくことの歓(よろこ)びと苦しみが、ありありと伝わってくる。諏訪哲史の小説集『岩塩の女王』において、心ある読者が経験することは、執筆の呼吸をめぐる作者の体感そのものにほかならない。
 いったんそれに気づくと、収録された六編の、文体やモチーフと呼ばれるものがいかに掛(か)け離れていようと、そんなことは問題ではなくなる。言葉をたどり、空白を読む。文章の呼吸と進行をなぞり、体感することができる。単語の一つ一つに、作者が手に取って確かめた感触がある。文学作品を読むときの、基層部分にあたる楽しさがそこにはあるのだ。
 失語症の予後に似た状態の中で書かれた「無声抄」。言葉を見失う危機に陥っても、最後に戻るところはやはり言葉だった。「いま、言葉がはじまる、そういう予感が、めまいをともなう強烈な陽光のごとく、かれのうえに照りつけていた」。人間が言語を有することそのものを、言祝(ことほ)ぐ一行ではないか。言葉を発する行為を、正面から見据えるとき、この一行はけして大仰には響かない。
 表題作「岩塩の女王」や「幻聴譜」など、寓話(ぐうわ)風の作品には作者の好みが反映され、手腕が発揮されている。その一方、夫婦の日常を描く「ある平衡」には、作者にとっての新たな試みが仕組まれ、言葉の連関が見せる亀裂のみずみずしさが、親しみを喚起する。
 三半規管にも似た作りの屋敷に住むピアノ教師・津由子、庭のカタツムリ、聞こえなくなる耳。どこまでも親和性のあるイメージが共鳴する作品「蝸牛(かぎゅう)邸」は、ぞっとするような深みを見せ、引き込む。聴覚的な要素は先に触れた「無声抄」とも響き合う。作品によっては、行分け詩を思わせる箇所もあり、詩を感じさせる小説集。作者が言葉と鋭く向き合った、その痕跡を受け取りたい。
    ◇
 すわ・てつし 69年生まれ。07年『アサッテの人』で芥川賞を受賞。著書に『領土』『スワ氏文集』など。

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