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新・風景論―哲学的考察 [著]清水真木

[評者]野矢茂樹(東大教授)

[掲載]2017年10月08日

[ジャンル]人文

表紙画像

■絵のような景色、好きですか

 太宰治はいかにもな富士の景色を見て、「風呂屋のペンキ画だ」と軽蔑した。著者はそれに共感し、さらに最近あちこちで見かけるわざとらしい日本風の街並み作り(和風テーマパーク)も批判する。ところが私ときたら、書割(かきわり)のような富士を見て美しいと感嘆し、和風に演出された通りを歩いても「ちょっといいかも」なんぞと思うタチの人間なのである。
 絵のような景色を風景のよさとする考えを、著者は絶景の美学と呼ぶ。一八世紀後半から一九世紀初めのイングランドにおいて、絵になる風景を求めて旅する作家たちが現れ、絶景の美学が形成されていった。著者は、現代のわれわれも絶景の美学に支配され、風景がもつ真の豊かさが奪われていると断罪する。
 ではその真の豊かさとは何か。ここからがちょっと説明が難しい。例えば友人が近づいてくるのを見るとき、私の目には彼女の姿だけではなく、道路や街路樹や周囲の店なども目に入っている。しかし、そうしたさまざまなものはとくに意識されていない。ある対象を捉えるためには、その対象を取り巻くものたちもそうと意識されずに捉えられていなければならない。それを哲学は「地平」と呼ぶ。ところがなんらかのきっかけで、そうした地平そのものが意識されることがある。著者は、これこそが風景であると論じる。
 地平は主題化されない仕方で私を取り巻いている。それは私が生きている場である。だから、風景とは私が生きている場がそこに立ち現れてくることにほかならない。風景には、書割にはない広がりと深さがある。ここに、風景のもつ真の豊かさがある。
 私は本書によって確かに風景について目を開かされる思いがした。だけどさ、だからといって絶景や和風テーマパークを貶(おとし)めなくたっていいじゃないか。
 私は本を閉じ、ふーむと唸(うな)り、書割擁護論に思いを馳(は)せるのだった。
    ◇
 しみず・まき 68年生まれ。明治大教授(哲学・哲学史)。『感情とは何か』『忘れられた哲学者』など。

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