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巫者のいる日常―津軽のカミサマから都心のスピリチュアルセラピストまで [著]村上晶

[評者]宮田珠己(エッセイスト)

[掲載]2017年10月08日

[ジャンル]人文

表紙画像

■シャーマンの社会的役割を探る

 津軽地方に「カミサマ」と呼ばれる巫者(シャーマン)がいる。
 青森のシャーマンといえば、死者の口寄せを行うイタコが有名だけれど、「カミサマ」はもっと身近な、都会で言えば占師のような存在だそうだ。
 とはいえ神仏や霊など超越的次元にかかわる点で、ただの占師とは異なる。年に二回行われる恐山の大祭では、年々減少するイタコにかわって、口寄せを行うことも多いという。
 本書は、彼らの存在に光を当て、各々(おのおの)がどのような経緯で「カミサマ」になり、具体的にどのような活動を行っているのかを、地道な取材と本人へのインタビューをもとに探っていく。
 盲目の女性が師匠のもとで技術を習得し、成巫(せいふ)儀礼を経て一人前になるイタコと違い、「カミサマ」は盲目でなくても男性であってもなることができ、その来歴はさまざまである。
 多くは病気や繰り返される不幸といった個人的な悩みを契機に、解決を求めて神仏に祈り、独自に修行を重ねるうち、神仏の意志を伝える力が宿って「カミサマ」として周囲に認められていく。
 だが、自分は「カミサマ」ではないと謙遜する者や、積極的にイタコを名乗る者など、そのありかたは一様ではない。
 シャーマンと聞くと、私などは、神や死者と交信するって本当? なんてつい野次(やじ)馬根性を発揮してしまうが、著者はそうした詮索(せんさく)とは距離を置き、「カミサマ」による口寄せや神託が依頼者にどのように受容されているかという観点から個別の事例を読み解く。その筆致はあくまで冷静だ。
 その結果、イタコであれ「カミサマ」であれ、依頼者が切実に求めているのは、神秘ではなく、腑(ふ)に落ちる体験なのだということが明らかになっていく。
 一般にはあまり知られていない「カミサマ」の存在に着目し、その社会的役割をとらえようとした労作。
    ◇
 むらかみ・あき 84年生まれ。白百合女子大学などで非常勤講師(宗教社会学)。

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