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リスクと生きる、死者と生きる [著]石戸諭

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2017年10月29日

[ジャンル]社会

表紙画像

■東日本大震災をどう記憶するか

 社会が何かを記憶するとはどういうことなのか。
 二〇一一年三月一一日の東日本大震災と福島第一原発事故から、六年半以上が経った。生々しいリアルタイムでの「出来事」が、日常生活の中に組み込まれた「記憶」へと、ゆるやかに変容していく時期に、この本は書かれている。それは、さまざまな情報を忘却し、変質させる時期でもある。
 この先、何を忘れ、何を記憶にとどめるべきなのか。著者は被災地に住む人々やそこに関わった人々の言葉を丹念に丁寧に拾い上げていくことで、問いかける。
 声の主は、さまざまだ。詳細な放射線汚染マップを作った兼業農家。自身も家族と共に避難した経験をもつ中学校教師。いち早く故郷の村に帰還した老夫婦。娘を亡くした父。父を亡くした息子。東電の元社員や物理学者も。
 これらの人々の、多様で、拡散していて重層的な声に対峙(たいじ)する著者自身も、もがき、あがき、変化していく。当初はなんでも記事にできると過信していた彼は、積み重ねた取材と思索の結果として、わかりやすさを追求してはいけないと確信するに至る。たとえば、被災者は苦しんでいるというイメージはわかりやすく、多くの人に受け入れられやすい。だがそこからは、多様で多層な現場の状況の、あまりにも多くがこぼれ落ちてしまう。
 このような「わかりやすさ」が優先されて記憶化が進むと、形骸化した干からびた情報だけが受け継がれていってしまう。震災で息子を亡くし、八〇年前の津波の教訓を活(い)かせなかったと悔いる母親がいる。彼女は、「一〇〇年後にこの震災ってどう伝えられているのかなって」考える。
 大事なのは、今のぼくたちにとっての「正解」ではない。未来に何を残していくのか。今の「ゆらぎ」や「あいまいさ」を、ぼくたちはどれだけ引き受けることができるのか。
 震災後の時代は始まったばかりだ。
    ◇
 いしど・さとる 84年生まれ。毎日新聞入社後、大阪社会部などを経て退社。16年にBuzzFeed Japanに入社。

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