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メタヒストリー―一九世紀ヨーロッパにおける歴史的想像力 [著]ヘイドン・ホワイト

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2017年11月12日

[ジャンル]歴史

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■歴史を「言語」から見直す企て

 著者ヘイドン・ホワイトは、歴史学を、「物語性をもった散文的言説という形式をとる言語的構築物」としてみる。一般に人々は、出来事や観念が存在したあとで歴史が書かれると考えているが、それらは書かれ構成されることによってのみ存在する。その書き方を見るべきなのだ。『メタヒストリー』は、歴史学が見てこなかった「言語」を見ようとする企てである。ここでそれを詳しく説明することはできないのだが、主として19世紀西欧における歴史学と歴史哲学の言説を、比喩の4形態(隠喩・換喩・提喩・アイロニー)という観点から見直すものである。ある意味で、これは歴史学・歴史哲学の「文学批評」である。実際、彼はケネス・バークやノースロップ・フライのような批評家の仕事に依拠している。
 このような企てを「言語論的転回」と呼ぶなら、それは目新しいものではない。20世紀の哲学における顕著な傾向は、観念や対象から、その陰に隠されてきた言語に向かう、「言語論的転回」にあるといえるからだ。そして、それが分析哲学だけではなく、さまざまな領域においてあらわれたのが1960年代である。たとえば、フランスで構造主義と呼ばれた著作がそうであった。最初に歴史学において転回をもたらしたのは、社会の歴史を「言説」の次元において見たフーコーの『言葉と物』であろう。一方、北米では、歴史学の領域において、フランスのそれと平行しかつ影響を受けながらも、独自の仕事がなされた。それが本書である。
 この時期に流行した著作がほぼ日本に翻訳・紹介されたのに、この大著が残されたのは、奇妙な気がする。それを考えていると、私は、この時期そのものが今や「歴史」の対象だということに気づいた。本書が刊行されたころ、私はエール大学で教えはじめたので、当時の北米の言説を身近に知った。その時に気づいたのは、北米では、哲学・歴史学・社会科学などがまったく分離されていること、そして、文学批評がそれらを分離することなく根本的に考える「理論」としてあったということである。もう一つは、アメリカの知識人の間でマルクス主義が弱かったということである。「言語論的転回」は、マルクス主義の強い所では、それに対する批判となるのだが、北米ではむしろ、新たな形でマルクス主義を導入することを意味した。
 本書はフレドリック・ジェイムソンの『言語の牢獄』と並んで、そのような役割を果たした。日本に本書が紹介されなかったのも、そのためだろう。しかし、逆に、今日の状況は、本書に新たな意味を見いだすことを可能にするものだといえる。
    ◇
 Hayden White 28年、米国生まれ。歴史家、批評家。カリフォルニア大学サンタ・クルーズ校名誉教授。本書の原書は73年刊。他に『歴史の喩法 ホワイト主要論文集成』『実用的な過去』など。

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