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アーダ(上・下) [著]ウラジーミル・ナボコフ

[評者]円城塔  (作家)

[掲載]2017年11月26日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■技法と知識ありったけの混沌

 あまり知られていないことだが、自分でもよくわからないことがらは、うまく翻訳することができない。
 それはまあ、どう訳すのか正解が決まっているような文章ならば機械にだって訳せそうであるのだが。
 あとがきによれば本書の訳者は、本書を読み進める読書会を、月1回のペースで10年以上続けてきたが、ようやく第2部の途中までたどりついたところだという。そこまで執拗(しつよう)な読みを要請する小説はまれだ。
 さらに話がややこしいことには、この小説の作者であるナボコフ自身が、自分の書いている話を制御しきれているのかどうかがなんだかあやしい。
 ナボコフは小説を書く言葉をロシア語から英語に切りかえた作家である。もっとも、他人に英語を直されても、自分の英語の方が正しいとするくらいには自信があった。
 しかし『アーダ』は老年に達したナボコフがその技法と知識のありったけを叩(たた)き込んだ小説である。作中にはロシア語と英語とフランス語が入り乱れ、誤訳に関する話題がひんぱんに折り込まれたりして、わざと言葉を崩してもいる。
 虚構と現実、ロシア語と英語、現在と過去、年代記の書き手と読み手、といった要素が入り混じる形で進行し、それぞれがそれぞれの言うことを誤りだと指摘しあって、まるで「誤訳」という単語がナボコフ自身に誤訳されているような混沌(こんとん)としたありさまである。
 だから慎重な読者としては何かの仮定をおいて検証しながらそこで何が起こっているのか推理しながら読み進めるということにならざるをえない。
 と書くと、ひたすらに難解な文章が続く小説かと思われそうだが、寝転がって眺めるぶんには、地方の領地における、富裕層に属する少年と少女のすがすがしい出会いの話であって、みだらで不実な話であり、子供の目からは隠しておきたい小説である。小説の楽しみを知らない子供からは。
    ◇
 Vladimir Nabokov 1899〜1977年。作家、詩人。ロシアに生まれ欧州に亡命、米国に移住する。『ロリータ』など。

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