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PANA通信社と戦後日本―汎アジア・メディアを創ったジャーナリストたち [著]岩間優希

[評者]立野純二(本社論説主幹代理)

[掲載]2017年12月03日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■浮かび上がる、アジア像の乖離

 東アジア、南アジア、イスラムが併存するアジアを一つにまとめるのは極めて困難であり、現実的な道は経済での統合だ——。
 シンガポール建国の父、リー・クアンユーは生前、そう語った。アジアを欧州のように統合するのは確かに遠い夢かもしれない。
 だが、アジアの一体性を培う道は経済だけなのか。リーも、欧米追随ではない「東洋の価値観」を認めた通り、連帯を求める試みは歴史の中に数々芽生え、埋もれていった。
 戦後まもなく香港に生まれ、東京で存在感を示したPANA通信社もその一つと言えよう。「アジアの、アジア人による、アジアのため」の国際報道を夢見た男たちの挑戦だった。
 ベトナム戦争で名をはせた岡村昭彦、事業拡大に奔走した近藤幹雄、PANAを吸収し、時事通信社の躍進をめざした長谷川才次。
 彼らの情熱が日本の戦後復興と高度成長の息吹を映していたとすれば、PANA創設者である中国系米国人の宋徳和とシンガポール人の陳加昌は、生涯そのものがアジア史である。
 宋は敗戦直後の日本の土を踏んだ最初の記者の一人だが、戦勝国のまなざしは感じられない。その後の中国の革命を案じ、アジアの動乱を追い続けた記者人生は、国境を越えた歴史の証人と呼ぶにふさわしい。
 丹念な取材の末に著者が見抜いたのは、アジアをめぐる同床異夢だ。日本人があくまで日本の視座から対面するアジアと、その現場に生きる人々にとってのアジアとでは乖離(かいり)がある。
 列強の植民地支配と長い混沌(こんとん)を肌で知る陳は言う。「人間にとって国籍はたいした意味はない」「私たちはアジア人です」。その言葉は、現代のメディアへの忠言にも聞こえる。
 覇権国は米国か中国か。アジア諸国はどちらを選ぶか。そんな視線では捉えられない多様な人間の営みを追ってこそのアジア報道。国よりも人を見よ、と教える老記者の眼光を感じる。
     ◇
 いわま・ゆうき 82年生まれ。中部大専任講師(ジャーナリズム論)。共著に『戦後史再考』。

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