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世代問題の再燃―ハイデガー、アーレントとともに哲学する [著]森一郎

[評者]齋藤純一(早大教授)

[掲載]2017年12月03日

[ジャンル]社会

表紙画像

■教育の役割は世界を教えること

 書物、音楽、絵画、着物、住居や街路……。私たちは日々「物」や「作品」に関わって暮らしている。そして、それらを介して、「物」をつくりだし、保持してきた過去の世代、それらを受け渡していくべき未来の世代と関わっている。
 アーレントは、私たちの「間」にあり、一人ひとりの「生命」を越えて存続するものを「世界」という言葉で呼んだ。本書が問うのは、近年よく取り上げられる生命へのケアではなく、世界へのケアである。アーレントが「世界疎外」と表現したように、生命への配慮が世界への配慮を圧倒し、ほとんどすべての「物」を使用・享受というより消費・廃棄の対象に変えてきたのが近代の社会である。世界は生命のスケールで扱われることによって劣化し、荒廃してきた。
 本書が、世界を維持し、後に続く世代へと継承していくために必要な活動にも注目しているのは興味深い。掃除、洗濯、修繕といった日々の労働を怠れば世界を構成するものは傷んでいく。また、教育の重要な役割は、子どもたちに「世界を教える」ことにあり、いまここで生きていく力を涵養(かんよう)することだけがその目的ではない。本書の議論に付け加えるなら、憲法をはじめとする法や制度も世界を構成する重要な要素である。それらを新たに活(い)かしながら、保持していく政治的行為があってはじめて、法や制度も空洞化を免れることができる。
 どの世代も諸世代間の連携と協働のなかにあり、世界に対して特権的な位置を占めてはいない。現世代もそのはずであるが、この世代は、制御しがたい宇宙の力を解き放ち、回復に数万年を要する損傷を世界に与えた。
 世界に生を享(う)け、やがてそこから立ち去ってゆく者に相応(ふさわ)しい振る舞いとは何か。本書は、それについて考えることを触発する。「あとは野となれ……」式ではない、世界への関わり方とはどのようなものか。
     ◇
 もり・いちろう 62年生まれ。東北大教授(近現代ドイツ哲学)。『死を超えるもの 3・11以後の哲学の可能性』など。

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