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我々は 人間 なのか?―デザインと人間をめぐる考古学的覚書き [著]ビアトリス・コロミーナ、マーク・ウィグリー

[評者]佐倉統(東京大学大学院情報学環長・科学技術社会論)

[掲載]2017年12月10日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 社会

表紙画像

■なめらかさの裏にある非人間性

 表紙をめくると、おむつを着けてよたよた歩いている赤ちゃんのCG画像が目に入る。
 さて、これは何を表しているのか?
 この本のテーマは、《デザイン、とくに近代デザインとは何か?》だ。この問いをめぐって、縦横無尽に話題と考察が駆け巡るが、翻訳がたどたどしく、その駆け巡り感がもうひとつ伝わってこないのが残念だ。
 全体を貫く芯は、時間軸。数百万年の昔から人類は道具を作り、それを使って自分たちをデザインしなおしてきたことが、進化学、人類学、考古学、脳神経科学の知見を積極的に借りながら、語られる。人間は技術なしには生きていけない。冒頭のおむつは、このような人工物の象徴だ。
 もう少し短いタイムスパンで近代デザインを歴史的に見直すと、その「なめらかさへの崇拝」の裏に、ひとりひとりの個性や特徴を容赦なく切り捨てる非人間性が透けて見えてくる。一見おだやかなデザインが、戦争とつながっていたりもする。赤ちゃんのよちよち歩きは、こういった危なっかしさを示してもいる。
 この、のっぺりとして無表情な近代性を補完するために、裸体や排泄(はいせつ)といった、生々しくどろどろした要素がときに前面に押し出される。ル・コルビュジエは、自宅の居間の真ん中にビデを置いていたとか。
 そして二一世紀の現在、インターネットとスマホによって、人間が自らを再定義/再定位するリ・デザインのあり方は革命的に変化した。携帯端末を介してぼくたちがつながるのは、林立する中継基地と太い通信ケーブル。地球を覆い尽くすハードウェア群だ。
 この先、人類と人工物は、どこへ向かうのだろうか。よちよち歩きの赤ちゃんが、確固とした足取りになる日が来るのだろうか。
     ◇
 Beatriz Colomina 52年、スペイン生まれ▽Mark Wigley 56年、ニュージーランド生まれ。

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