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鳥獣戯画 [著]磯崎憲一郎

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2017年12月17日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■絵の具の質感もつ言葉の導き

 (イ)(=磯崎)作品はすべて未完だと横尾さん言うけど、僕の小説も未完の連続です。(ヨ)(=横尾)登場人物が突然消えて二度と現れない。(イ)飽きないように飽きないように書いてます。(ヨ)そう、飽きないために人物を消しちゃうのね(笑)。(イ)話にオチを付けなくても小説は成り立つ。(ヨ)日常生活でいちいちオチなどつけない。勝手に始まって、勝手に終わる。(イ)絵に似てますよね。(ヨ)ストーリーを追いかけられるのを拒否しているね。絵でいうと造形していくのに似ていて、読者が作家と同じ立場にたって書くようにこの小説を作っていく。(イ)まさしく、そこを書評して下さい。テーマやストーリーはどうでもよくて書いている時のタッチとか絵で言う色とか、絵を描く感触、それを優先している小説なんです。(ヨ)途中で主人公がいなくなっても知らんぷり。(イ)そこは違うタッチが必要だった。だから突然、(ヨ)明恵上人(みょうえしょうにん)の話に、(イ)ガラッと変わった。(ヨ)ハッハッハッハ。ところであの女優はどこへ?(イ)僕にもわからない。(ヨ)読み手も無責任になって、マッエエカ!と。(イ)そう思ってくれると嬉(うれ)しいです。(ヨ)ゴッホの絵はモチーフはどうでもいい、絵の具の物質感が問題、そこを見る。あの絵の具の感じが磯崎憲一郎の小説の言葉なんだよね。(イ)まさしくそうで、今言われた「絵の具」としての言葉を使っているわけです。大事なのは文章の質感だと思う。小説ではそれを優先させなきゃいけないと思っているんです。
 (ヨ)絵は事件です。結末は予測できない。あなたも事前の設計図がないと言う。僕も航海図なしで船出する。(イ)僕も書き上がるまで、どこへ行くのか? 言葉によって言葉で表し得ないものを表そうとしている。僕は美術や音楽に近い小説を書こうとしているんです。(ヨ)明恵を出した時、僕はアッシジの聖フランシスコを思い出した。二人が鳥と会話するだけではなく、どんどん衣服を脱ぎ捨てていく。磯崎さんも書きながら自分を脱いでいく。僕の絵と同じことをやっている。共感したね。(イ)僕は現実よりも小説の方を上位においているんです。(ヨ)僕も面白い日記を書くためにわざと面白い行動に出て日記を面白くする。(イ)小説が現実を押し広げる。小説が先にある。(ヨ)小説が磯崎を作る。僕は芸術家は芸術のための下僕であるべきだと思う。生活と創造の一体を意外と勘違いしていると思う。芸術によって人間が仕上がるんです。デュシャンやピカソ、キリコがそう。生き方を作品化するのではなくその逆。それは悟りへの道だね。(イ)迷いがないですよね。(ヨ)滝行や座禅しなくてもいい。作品が作者を導き、小説が小説家を解脱させるんです。
    ◇
 いそざき・けんいちろう 65年生まれ。作家。09年「終(つい)の住処(すみか)」で芥川賞。著書に『赤の他人の瓜(うり)二つ』(ドゥマゴ文学賞)、『往古来今』(泉鏡花文学賞)、『電車道』など。

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