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潜伏キリシタンは何を信じていたのか [著]宮崎賢太郎

[評者]宮田珠己(エッセイスト)

[掲載]2018年04月14日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■先祖崇拝を重視し独自形に変容

 長年にわたりカクレキリシタンのフィールドワークを続けてきた著者は、彼らが仏教を隠れ蓑(みの)にキリスト教の信仰を守り続けたという旧来の説に異を唱える。むしろそれは、伝統的な神仏信仰の上にキリシタンの神も合わせて拝む民俗宗教だった。
 本書は明治政府が禁教令を取り下げるまでの潜伏期に当の信仰を持ち続けた人を「潜伏キリシタン」、禁教令廃止後もキリスト教に戻らなかった人たちを「カクレキリシタン」として区別し、「隠れキリシタン」という言葉にまとわりつくイメージの払拭(ふっしょく)を試みる。
 つまり彼らは隠れていたキリスト教徒ではなく、「カクレキリシタン」という独自の信仰形態を持つ人々だったというわけだ。その信仰の中核にキリストやマリアの要素はなく、日本古来のタタリ観や先祖崇拝が重視された。1865年大浦天主堂でプチジャン神父のもとに村人が現れ、マリアへの信仰を告白したという有名な信徒発見の奇跡も、実証的な学問の立場からはありえないとし、神父の創作であろうと喝破。さらに「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」が正式に世界遺産に登録されれば、仏教を隠れ蓑にキリスト教の信仰を守り続けたというキャッチフレーズが、より一層流布されるであろうことに懸念を示す。
 「隠れキリシタン」幻想に踊らされるな、というわけだが、むしろ私は本書を読むにつれ、ますます「カクレキリシタン」に魅力を感じるようになった。納戸のような奥まった場所で秘密裏に祀(まつ)るうち、キリシタンという意識は薄れ、これは人に知られては効き目がなくなる神様であるという認識に変わっていったなどという話は、文化人類学者クリフォード・ギアツの、インドネシアに伝播(でんぱ)したイスラム教がその過程で東南アジア的性格に変容したとする研究を思い起こさせ、それが新しい宗教の萌芽(ほうが)の瞬間のようにすら思えて興味深かったのである。
    ◇
 みやざき・けんたろう 50年生まれ。長崎純心大客員教授(宗教学)。『カクレキリシタンの信仰世界』など。

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