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科学的人間と権力政治 [著]ハンス・J・モーゲンソー

[評者]西崎文子(東京大学教授(アメリカ政治外交史))

[掲載]2018年05月05日

[ジャンル]政治

表紙画像

人間の本質見抜く真の現実主義

 第1次大戦後、パリ講和会議に向かうウィルソン米大統領は、側近にこう伝えた。「何が正しいか言ってほしい。私はその実現のために戦おう」。正義を貫徹すれば平和は訪れる。目指すのは理性の勝利だ。
 本書は、理性、そして科学を信頼するこのような姿勢に対する容赦ない批判である。合理主義の哲学は、人間や社会、理性の本質を見誤ってきた。個人と国家、国際関係を貫く合理的・倫理的原則の存在を信じ、社会問題を科学的方法で解決する試みは失敗に終わっている。正義が実現しないのは、敵の邪悪さ故だと考える人々は、歴史に学ぶことを知らない。彼らは、人間と政治の本質である権力への欲求を理解しないのだ。
 本書の基となる講演が行われたのは1940年夏、ドイツによるパリ陥落直後であった。ナチス・ドイツを逃れ米国に渡ったモーゲンソーにとり、ファシズムは異国ではなく「われわれの中」に出現したものだった。それは、非合理主義への先祖返りではなく、18〜19世紀の理性や科学の時代が産み落としたものだ。西欧文明はその倫理的基礎を問い直さなければならない。
 このような議論が、大戦に勝利した米国で批判されたのは不思議ではない。理性への悲観的評価に戸惑うものも少なくなかった。
 しかし、本書の核心は、むしろ権力政治の中で人間の役割を復権させるところにある。人間の本質が権力欲にあり、政治行動には悪が伴うからこそ、重要なのは人間の道徳的判断である。政治的知恵、道徳的勇気と道徳的判断があってはじめて、政治における「より小さい悪」の選択が可能になる。政治と倫理との対立を和らげるのは、「暫定協定」の積み重ねなのだ。
 ほどなく、モーゲンソーは『国際政治』(原彬久監訳、岩波文庫)を出版し、現実主義学派の重鎮となる。真の現実主義者は洞察と賢さによって人間の本性を見抜く者だという本書の言葉は彼の原点に他ならない。
    ◇
 Hans J. Morgenthau 1904〜80年。シカゴ大、ニューヨーク市立大などで教え、国際政治学の土台を築いた。

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