古代ローマ史研究者の著者は言う。「人類の文明史五千年のなかで、じつに四千年は古代なのである」。言われてみれば確かにそうだ。あのローマ帝国にしても、それに先立つ三千数百年の歴史がある。こういう四千年の厚い古層の上に我々はいる。「古代人の心性にふれ」て初めてわかることがある。宗教がその代表だろう。
今我々は宗教について真剣に考えるべき時を迎えている。日本の神道はおおらかな多神教だが、それでさえ支那や韓国の靖国批判のように政治とからんでくる。求心性の強い一神教ならなおさらだ。ユダヤ教・キリスト教と同根の一神教で、それをさらに徹底したイスラム教の動向を知ることは国際政治を理解するには不可欠だ。宗教論議は、信教の自由といった法律論の枠には収まりきらないのだ。
一神教の成立は謎に包まれている。著者は、エジプトの唯一神アテンに注目する。これが、エジプトの支配下で抑圧されていたヘブライ人の心を捕えたのではないか。「一神教は虐げられ抑圧された被差別民の宗教になりやすい」からだ。さらに、二十数文字で足りるアルファベットの出現もこれに影響しているだろう。「読み書きできる人々が増え」「分析し思考することを厭わな」くなる。
こうしてみると一神教の成立と発展には、多神教への優越が感じられる。しかし、多神教の戒律が「正しい振舞い」しか求めないのに対し、一神教は「正しい魂」まで求める。「人間は心のあり方まで問われる」ことになった。これがいいことなのか悪いことなのか。
ポンペイの遺跡からは公衆浴場も発掘されている。脱衣場には客が衣類をおいた場所の目印となる絵が壁に描かれている。その絵が露骨な春画である。俺は服を後背位のあたりにおいたとか、あたしが下着を脱いだのは騎上位の前とか(別の意味でそりゃそうだ)。この春画、大噴火の少し前に塗りつぶされている。多神教的ローマ世界に、一神教のユダヤ・キリスト教が入り込み始めた兆候らしい。是非の答えは容易ではない。