ここから本文エリア

RSS

現在位置:asahi.com>BOOK>新書の穴> 記事

新書の穴

読み替えられた日本神話 [著]斎藤英喜

[掲載]週刊朝日2007年02月09日増大号
[評者]鶴見太郎

■驚くほど自由だった神話解釈

 「伝統」は絶えず国家的な価値観と結びつく要素を秘めている。多くは近代以降に植樹されたソメイヨシノは、足早に開花し散っていくあの感傷的な風情とともに、いつしか日本古来の美意識と考えられるようになった。何かを古式ゆかしいものと見る前に、その由来を俎上に載せてみる必要がある。

 では、その「伝統」の根幹ともいうべき「古事記」「日本書紀」の神話はどうなのか。本書は、外側からは不変に見える記紀神話の世界について、出雲神話の時代から現代までを通覧し、そこで公然と繰り広げられていた神話の改変、再解釈の跡を抉り出す。

 とりわけ中世の日本とは、古代から続く祭祀系氏族間の勢力争いを受け、記紀神話の「読み替え」が最盛期を迎えた時代だった。一部の氏族、神官は自らの権威化をはかるため、古来伝わるとされる「偽書」を作り出し、その中で自らの奉じる神々を“格上げ”するため、思い切った神話の改変を行っていた。

 日本史全体を見渡すと、神話を憚るどころか、むしろ、このように思うがままに手を加えた時代の方がはるかに長い。その営みは、時として同時代の政治的な利害を超えて、「究極」、「不可知」といった抽象的な神学概念すら生み出すに到る。

 これらの「読み替え」に通底しているのは、それぞれの時代による政治利害からの要請を受けながら、対象となる神話の解釈は驚くほど自由であった点だ。本書はこの態度が本居宣長、平田篤胤(あつたね)など江戸期の国学者にも継承された点を見極め、そこに近代の皇国史観との大きな違いを認める。

 これを反転すれば、教育勅語によって新たな「国民神話」を創出した日本の近代とは、神話改変という「伝統」を自ら封じてしまった時代と見ることもできる。

 戦後に封印を解かれ、現在では構造主義による記紀神話解釈や宮崎アニメの世界を自在に受け入れるようになった。再び日本人は中世の自由な伝統世界に入っているのではないか。

ここから広告です

広告終わり

新書の穴 バックナンバー

バックナンバー

このページのトップに戻る