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新書の穴

「お墓」の誕生─死者祭祀の民俗誌 [著]岩田重則

[掲載]週刊朝日2007年02月23日号
[評者]鶴見太郎

■日本の「お墓」の変遷を探る

 日本人はいったいいつから遺骨、そしてそれを入れる「お墓」という空間に執着し始めたのだろうか。何気ないことかも知れないが、実はこの問いかけは日本史上の大問題でもある。

 例えば平安時代の貴族は、自身の近親者がどこに葬られたのかについて、ほとんど関心を払っていない。十世紀初頭の貴族官僚・藤原忠平などは自分の先祖の埋葬場所についての正確な記憶すら持っていない。

 無論この背景には、古代から日本人を縛り続けてきた死穢(しえ)(遺体)に対する強い禁忌の念があった。かつて柳田国男と傘下の民俗学者は、日本の墓を「両墓制」という用語で説明した。遺体の埋葬場所とは離れた別の場所へ石塔を建立し、死穢を介さない石塔のほうを祭祀の対象とするシステムだ。死者を怖れた時代と仏教受容によってその障壁が除かれた時代の重層を説くこのモデルは、見事に日本の墓制を解き明かしたかに見えた。

 しかしここに重大な落とし穴があったと本書は考える。仔細に見れば、「両墓制」が想定する型の墓地はむしろ少数であった。だが、この事実を踏まえず、沖縄に日本の祖霊祭祀の原型を求める柳田によって同地の習俗がそのまま本土に敷衍され、詳しい検証がなされないまま定説化したことによって、知らず知らずのうちに日本の墓の「原像」というべきものが作られてしまったのである。

 この違和感を下地に、本書は周到な方法によって日本の墓制を分類し、その変遷を再検討していく。その結果、中世において土葬・火葬にかかわらずなされなかった石塔建立が、近世の寺檀制度で次第に民間へ浸透し、我々には馴染み深い「先祖累代」と刻んだ墓石が成立するのは近世後期だったという意外な行程が描き出される。

 「あるべき仮説」によって原資料を歪めることに著者は強い批判を込める。靖国神社に祀られる戦没者を一種の「両墓制」で説明しようという議論への反駁もまた、しっかりとした方法意識を経ているだけに明快である。

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