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新書の穴

書評家〈狐〉の読書遺産 [著]山村修

[掲載]週刊朝日2007年03月09日増大号
[評者]鶴見太郎

■引き込まれるような読書の精神

 良い書評の条件とは、その本の隠れた良さを引き出すことにある。当たり前のことではあるだろうが、いざ、これを実践するとなると、実は意外にむつかしい。思えば、まず良い本を選び出すことから、すでに書評家の仕事は始まっている。良い本を手にした、という感触がそのまま、その本について素直に自分が魅了される素地を作り、それが優れた書評へとつながっていく。

 本書の著者は主として「文學界」を活動の場としながら、「狐」のペンネームで凝縮した達意の書評を送り続け、昨年56歳で亡くなった。翻訳・古典を含めた文庫本2点が毎回の軸となる。

 死の年に樋口一葉が残した『通俗書簡文』と、高群逸枝のデビュー作となる『娘巡礼記』を対比させた「ふたつの二十四歳」、あるいは博学の天文学者・石田五郎が普段着で綴った『天文台日記』を扱ったとみるや、一転してキケロー『老年について』における老熟したロゴスの力の中に西欧文化の淵源を読み取った「はじめて出合う西欧」など、いずれも配置の妙が光る。

 しかも、本書の持ち味は説明し過ぎないところにある。穿(うが)ち過ぎた書評は却(かえ)って読む気を殺がせることを承知した上でのことだろうが、そのことで読む側に一度、手に取ってみる気を起こさせる。実際、京須偕充編『志ん朝の落語』(ちくま文庫)や、『能 梅若六郎』(平凡社ライブラリー)などは本書によって教えられて購入したが、いずれも外れがなかった。

 実は著者は同じ本に関して他の識者が記した書評・解説をしっかり読み込んでおり、それらの足らざるところを見据えている。江戸川乱歩『パノラマ島綺譚』の舞台となる人工庭園の「俗っぽさ」は、時に同書の「欠点」とされたが、著者はこれを「通俗であればこそ肌身にそくそくと沁みるのだ」と一蹴する。

 少年時代に体験した、引き込まれるような読書。この珠玉の書評集の根底にあるのは、その精神なのではないか。

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