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新書の穴

奇想科学の冒険―近代日本を騒がせた夢想家たち [著]長山靖生

[掲載]週刊朝日2007年07月20日号
[評者]海野弘

■奇想の状況は今もつづいている

 近代日本にあらわれた奇想の科学者たちの列伝である。地球は平らだといった佐田介石から、考えるロボットをつくろうとした西村真琴など、近代の中で忘れられてしまった人々が発掘される。

 著者は擬似科学、偽史といった歴史学がとりあげない領域に強い関心を持ち、もう一つの歴史を書いてきた。私もその分野が大好きなので、愛読してきた。

 奇想とは、おかしな、馬鹿馬鹿しい考えである。こんなおかしな、くだらないことを考えた人がいるといった奇人伝はよくある。そこには馬鹿な奴だ、という読み手の優越感をそそるものがある。しかしこの本の著者はそこにとどまらず、奇想者たちへのある共感をにじませる。なぜなら、彼らのおかしさ、愚かしさも実は現代の私たちと無縁ではなく、彼らと私たちは同じ人間だからだ。

 たとえば、超心理学にのめりこんだ渋江保について、次のように書かれている。

 「渋江保の催眠術への傾倒を嗤(わら)うのはたやすい。だが日本におけるオカルト的な疑似科学の浸透は、日本の近代化とほぼパラレルに進行しており、多くの知識人もその影響を多少とも蒙っていた」

 西欧化、近代化は、まっすぐ進化してきたわけではなく、その裏側でオカルトをはらんでいた。この本は、明治・大正の奇想を語っているだけでなく、実は、今もその状況がつづいていることを語っている。

 私はこの書評の本を選ぶために、書店の新書の棚を見たのであるが、新書のほとんどは、人格やら財産やら健康やら美容やらをいかに得るか、という穴やらツボやらを語ったものであった。これさえあれば、これだけで、あなたは幸せ、または偉くなれる、成功できる、というのである。ちょっと距離をおいて見ると、それらはいずれもすべて奇想のようなものではないか、と思われてきた。

 この本の著者は、奇想を相対化しその呪縛を解くが、同時に、奇想こそ人間的なものであることを語っている。

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