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新書の穴

サムライとヤクザ─「男」の来た道 [著]氏家幹人

[掲載]週刊朝日2007年11月02日号
[評者]海野弘

■いきいきと伝える〈男らしさ〉の頼りなさ

 このところ〈男らしさ〉のようなものが問題となっているようだ。品格が求められていたり、武士の一分が讃美されたりする。一方、安倍前首相や朝青龍が突然、こけちゃったりする。

 「男の道」とはどのようなものだろうか。「相撲道に精進します」という横綱になる時のセリフも浮かんでくる。

 そもそも〈男〉とはなんだろうか。この本は江戸以来の〈男の道〉を歴史的にたどったものである。著者は、江戸の歴史を鮮やかに切り取り、いきいきと伝えてくれる。平成の三田村鳶魚のような歴史家である。

 この本によると、江戸になると、なにしろ太平がつづくので、戦う機会もないから、武士も軟弱になってくる。なるほど、敵討ちなども、江戸初期には武士が中心だが、その後は町人がほとんどになる。

〈男の道〉も、武士が頼りなくなったので、カブキ者、さらにはヤクザといった在野のアウトロウに受け継がれたようだ。いわゆる〈任侠道〉である。

〈武士道〉なるものも、武士が戦わない、いや、戦えなくなってしまったので、武士らしさを教えるためにつくられた、ともいえるかもしれない。

 この本は、〈男〉というのが決して絶対的でも、確立しているわけでもないことを教えてくれる。豊富な資料をもとに、〈男〉が江戸時代に、いかに変動し、相対的であったかが語られている。

 しかし、それでもなぜか、いつの時代も〈男らしさ〉が求められるようで、武士がだめになると、それに代わる〈男らしさ〉が呼び出される。

 この本は、江戸を中心としているが、武士が退場した後の、近代のヤクザについても触れている。その部分もなかなか面白い。しかし、まだ歴史化されていないところなので、ぜひ、この著者にあらためてまとめてほしいと思う。

 私たちはどうして〈男らしさ〉を求めるのか。それによって、本当はなにを意図しているのか、などと考えさせる。

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