ゼロ地点から考える 2005年の新・教養主義―秋の読書特集
世間をおおう行き詰まり感に拍車――今年の総選挙は「日本の9・11」ともいうべき衝撃をもたらしました。私たちはどこまで来て、これからどこへ行くのかを、ゼロ地点から考え直す必要がありそうです。いまを生きる手がかりを探す、これが今回の第1特集「2005年の新・教養主義」です。第2特集は一転、食べ物をめぐる楽しい企画「世界を食す」。各国・各地域の食文化をご紹介します。文字・活字文化振興法が成立して初の読書週間です。
■今こそ立ち止まるレッスンを
文芸評論家 斎藤美奈子
戦後60年の今年の夏は、先の戦争をふりかえる好機になるはずだったのだ。それが解散総選挙でキレイに吹き飛び、いまはもう秋。このようにして私どもはいつも過去をかえりみ損ね、「地滑り的」にどこかに向かっていくのだなあと絶望的な気分になり、絶望ついでにアドルフ・ヒトラー著『わが闘争』(平野一郎・将積茂訳、角川文庫、上・下)を読みはじめたら、おもしろくって止まらなくなってしまった。
〈宣伝はすべて大衆的であるべきであり、その知的水準は、宣伝が目ざすべきものの中で最低級のものがわかる程度に調整すべきである〉〈宣伝は短く制限し、これをたえず繰返すべきである〉
おおー、どこかの国みたい! 1924年、拘置所の中でヒトラーがルドルフ・ヘスに口述したというこの本は、いま読むと、まるで広告会社のマニュアルだ。
9月の総選挙後、強調されたのは「小泉劇場の作戦勝ち」という分析だった。対抗するには野党も「小泉的手法」に学ぶべきだと。しかし、ほんとにそうなのか。政治宣伝がなべて「劇場」に近づくのだとすれば、識者と呼ばれる人々の役目は「民主党も自民党に学べ」とあおることではなく「人々よ、宣伝に踊らされるな」と説くことじゃねーの?
みんなが火に油を注ごうとし、われもわれもと火に飛び込みたがる時代、本になにがしかの存在意義があるとしたら、熱冷ましの効果である。立ち止まって火を消すための読書。
人々の熱狂がどんな結果を招くかは、ハンス・ペーター・リヒター著『ぼくたちもそこにいた』(上田真而子訳、岩波少年文庫)に余すところなく描かれている。ヒトラー政権下におけるユダヤ人少年との友情を描いた『あのころはフリードリヒがいた』(同))のこれは続編で、ヒトラー・ユーゲントに入団した3人の少年が主役である。〈わたしは参加していた。単なる目撃者ではなかった〉とリヒターは書く。これは加害者の側の物語なのだ。
〈国家と国家が信用していると、他の国がどんなことをやっても一向騒がないのでありますが、一たび不信用になりますと、対手(あいて)の行動が疑われて仕方がない。その結果国際不信用というものがますます大きくなるのであります〉
「混迷時代の生活態度」と題して清沢洌(きよし)がこう書いたのは1935年。清沢洌は太平洋戦争時の『暗黒日記』(ちくま学芸文庫、岩波文庫)で知られるジャーナリストだけれども、20〜30年代の文章を中心に編集された『清沢洌評論集』(山本義彦編、岩波文庫)は、ほとんど2005年の日本のための警句集である。
小泉自民党の大勝に似た現象を本の世界は何年も前から先取りしていた。一極集中ともいえる驚異的なベストセラーの出現。単純なメッセージが好まれる傾向。情緒的な「感動」「涙」への臆面もない傾倒。
思えば私たちは本に答えを求めすぎていた。「早く答えを教えて」と請う態度が為政者をのさばらせる。必要なのは、そうだ、立ち止まり方のレッスンだ。たとえば対話を通して思考を練り直す方法。市民社会の行方については市村弘正・杉田敦著『社会の喪失』(中公新書)が、改憲については林修三・小林直樹・色川大吉・江藤淳著、NHK編『憲法論争』(NHKライブラリー)がヒントを与えてくれるだろう。大事なことは焦って決めちゃダメなのだ。もしかしたら、いまこそが「本の出番」なのである。
|