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特集

『ロリータ』ナボコフ 話し言葉、「キモいのよ」に 沼野充義さん

[掲載]2007年10月26日朝刊

秋の読書特集 第1特集 翻訳新世紀―新訳で文豪を楽しむ

 ロシア出身の作家、ウラジーミル・ナボコフの『ロリータ』は、いまでこそ20世紀世界文学の最高傑作の一つと認められているけれども、半世紀以上前、原著が英語で出版された当初は、ポルノまがいの危険な本としてセンセーションをまきおこしたものだった。ナボコフは今日ではロシア語と英語を同じように使いこなした天才的バイリンガル亡命作家として有名だが、当時日本ではおそらくまったく無名で、当初は猟奇的興味をもって見られていたのではなかっただろうか。

写真ぬまの・みつよし 54年生まれ。東京大教授。著書に『徹夜の塊 亡命文学論』(サントリー学芸賞)、『ユートピア文学論』(読売文学賞)など。

 そんなわけで、最初の大久保康雄訳は、言葉の芸術家ナボコフに対する理解がまだ乏しい時代の仕事なので、原文の精妙な仕掛けや先行文学作品へのそれとない言及を十分に汲(く)み尽くしているとは言い難かった。しかし、ナボコフ研究の権威である若島正氏による新訳が最近出て、ようやくこの作品をきちんと味わえるようになったといえるだろう。ただし、この機会に力説しておきたいのは、大久保訳が(特に改訳された新潮文庫版は)世間で言われてきたほど悪いものではなく、むしろプロの上手な訳であって、流麗ともいえる訳し方さえあちこちに見うけられるということだ。

 若島訳のほうがはるかに正確だが、それは必ずしも美文になったというわけではない。言わばもやもやとぼかされてなんとなくきれいに見えていた古ぼけた写真が、急にシャープになったかわり、変な細部も見えてきた、という印象なのである。

 ナボコフはかなり大胆な比喩(ひゆ)を使い、言葉遊びも頻繁に繰り出す。若島氏はマニアックなまでにそういった言葉の仕掛けにこだわり、普通なら翻訳不可能な音の遊びもなんとか日本語に置き換えられないだろうか、と苦心する。そのようにナボコフの言葉そのものに迫ろうとする「正確化」の戦略が認められる一方で、ロリータの話す言葉の訳し方を見ると、かなり大胆な「現代化」が施されていることにも気付かざるをえない。

 若島訳のロリータはもはや、男の欲望の対象としてのきれいなお人形さんだけの存在ではない。「ムカつく」「あの子ってキモいのよ」「そんじゃね」といった言葉を平気で使う生身の現代っ子なのだ。このような現代口語の使用については賛否両論あるだろうが、いずれにせよ、この画期的な方針によって、登場人物像が書き換えられ、作品の印象もかなり変わってくるに違いない。

 原作を読んだこともない多くの人たちの間で「ロリ・コン」という言葉だけがひとり歩きして久しいが、ナボコフが書いたのはいったい何だったのか、新訳を通して初めて発見できるようになった。

    ◇

 若島正訳、新潮文庫・900円。2005年に新潮社から刊行後、同文庫に。原著は1955年にフランスで出版後、58年に米国で発売。初翻訳は59年(大久保康雄訳、河出書房新社)。

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