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特集

『赤と黒』スタンダール さらに滑らかに、前へ前へ 堀江敏幸さん

[掲載]2007年10月26日朝刊

秋の読書特集 第1特集 翻訳新世紀―新訳で文豪を楽しむ

 スタンダールの傑作『赤と黒』の新訳出来(しゅったい)は、フランス文学のみならず、翻訳小説の世界においても大きな事件だと言えるだろう。

写真ほりえ・としゆき 1964年生まれ。作家。早稲田大教授。「熊の敷石」で芥川賞。著書に『おぱらばん』『雪沼とその周辺』『めぐらし屋』など。

 いまもなお読みつがれている桑原武夫・生島遼一訳が半世紀前、いちばん新しい古屋健三訳や富永明夫訳でもすでに30年ほど前のことだから、1830年、王政復古が終わろうとする頃に発表されたこの「19世紀年代記」は、1980年代以後の日本語と出会っていなかったことになる。

 貴族でも富裕なブルジョワでもない農民=田舎者の青年ジュリヤン・ソレルが、強靱(きょうじん)な記憶力と美貌(びぼう)を武器に、フランス東部の地方の小さな町、ヴェリエールの町長レナール氏に雇われて子どもたちの家庭教師になるところから物語は始まる。

 繊細な心のうちに富裕層への憎しみを抱えたジュリヤンは、ひたすら出世をめざす。いま自分の置かれている社会階層を、この町を捨てるのだ。レナール夫人との恋愛劇さえ、そのための露骨な足がかりにされるほどの勢いで。

 ナポレオンの『セント=ヘレナ日記』を愛読するジュリヤンは、とにかく速さの人である。頭の回転も行動も、並はずれて速い。こうすべきだと考えたことは、すぐさま実行に移そうとする。

 だから日本語にも、疾走感と、ジュリヤン本来の弱さに一歩先んじてそのほころびを押さえうるような、やわらかく弾むリズムが求められるのだが、今回の野崎歓訳は、先達の簡潔流麗な訳文の路面をさらに整備した滑らかなもので、主人公のうちの脆(もろ)さと暗さを壊すことなく、前へ前へとひっぱっていく力がある。

 一例を挙げよう。ジュリヤンはレナール夫人の手を握ろう、〈十時の鐘が鳴ると同時に実行しよう、一日じゅう、今晩やるのだと誓っていたじゃないか。さもなければ部屋に帰って頭を撃ち抜くまでだ〉と考える。

 「運命の鐘の音がひとつひとつ胸に鳴り響き、体を突き動かした。彼は手を伸ばし、レナール夫人の手を取ったが、夫人はすぐ手を引っこめた。ジュリヤンは自分が何をしているのかわからないまま、もう一度手をつかんだ。ひどく興奮していたものの、彼は握った手の氷のような冷たさにぎょっとした。ぶるぶるとふるえる手に力を込めてその手を握りしめた。相手はふりほどこうとあがいたが、とうとう手は彼の手の中にとどまった」

 『赤と黒』の世界は、主人公にも読者にも、後ろを振り返る暇を与えない。最後になにが待ちかまえているのか、新訳は頁(ページ)をめくる指先の焦りにさえ先行する速度で、19世紀フランスの小説を、まぎれもない21世紀日本の世界へと変貌(へんぼう)させてくれるだろう。

    ◇

 野崎歓訳・光文社古典新訳文庫・800円。下巻は12月発売予定。1957年刊の小林正訳(新潮文庫)や58年刊の桑原武夫・生島遼一訳(岩波文庫)が版を重ねてきた。54年にはジェラール・フィリップ主演で映画化された。

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