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ここから本文エリア 特集 『ドン・キホーテ』セルバンテス 集大成の訳と、成長中の訳 野谷文昭さん[掲載]2007年10月26日朝刊 『ドン・キホーテ』は成長し続けている。それは翻訳にも当てはまる。翻訳されるとき、時代によって世界的に変化する読みが訳文に反映するからだ。なかでも決定的だったのがロマン派の読みで、主人公キホーテは滑稽(こっけい)な人物から悲劇的な人物へと変貌(へんぼう)する。日本でもこの変化を受けて、永田寛定が「にがり顔の騎士」、さらに会田由が「憂い顔の騎士」と訳し、後者の訳語が好んで引用されてきた。セルバンテスの生涯にも通じる、理想を掲げ、冒険の旅に出て挫折する、悲運の人物像に似つかわしい、美しい言葉だからだろう。
牛島信明の新訳も、「愁(うれ)い顔の騎士」として別の漢字を当ててはいるが、基本的には同じ路線上にある。しかし膨大な注が示すように古今の研究に学び、正確で重厚ながら軽みのある訳を追求し、作品の備える哲学と昇華された滑稽としてのアイロニーとユーモアを伝えようとしている。またゆったりとした文章のリズムは馬とロバにまたがっての旅にふさわしく、とはいえ会話はそれほど時代掛かっていないので読みやすい。さらにもうひとつの特徴は、サンチョの農民言葉を含め、会話が決して下卑ないことだろう。 牛島訳の後に出た荻内勝之の翻訳は、大きく性格が異なっている。ロマン派的読みは原作を歪曲(わいきょく)しており、本来の滑稽本として読むべきだという主張があるが、荻内訳にはこの論が反映しているようだ。というのも、音読するとはっきりするのだが、スピードがあり、そのため主従らの会話が激しく衝突して笑いを誘うからだ。冗長さを避けるため、無くても分かるような言葉を省略し、講談のように文章を圧縮してある。これなら挫折せず最後まで読みきる読者も多いに違いない。 キホーテやサンチョの名言をじっくり味わおうとするなら、黙読に向いた牛島訳を読むといい。読者は作者の声に耳を傾ける一方、頷(うなず)いたり呆(あき)れたりしながら二人の会話に参加したくなるだろう。荻内訳を読むと、読者は主従二人を自ら演じたくなるかもしれない。言葉に勢いがあるので、戯曲のように読むことができるからだ。 牛島訳は日本における『ドン・キホーテ』研究と翻訳の集大成と言え、今後、スタンダードになるだろう。だが、作品は生きて成長し続ける。はからずもそのことを実証したのが、荻内訳ではないか。クラシック音楽の演奏が指揮者の解釈によって変化するように、文学の翻訳も訳者しだいで変化する。時代が変わり、読みに変化が起きたり、人々の言葉に変化が生じたりするとき、さらに新たな翻訳が生まれる可能性があることは、未来の読者にとってひとつの希望となるだろう。 ◇ 牛島信明訳・岩波文庫・前篇3巻は各798円、後篇3巻は各840円。1948年に「正編」が永田寛定訳(岩波文庫)で刊行。会田由訳(ちくま文庫)や05年刊の荻内勝之訳(新潮社)などがある。
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