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特集

江戸の知識から明治の政治へ [著]江戸の知識から明治の政治へ

[掲載]2008年04月06日
[評者]石上英一(東京大学教授・日本史)

 福沢諭吉は、明治10年、「事物の改革」について、「あらざる可(べか)らずの法を施すには、先(ま)づ其(その)既にある有様(ありさま)を知ること緊要なり」と記した。西洋に学んだ啓蒙(けいもう)思想家福沢にして、「既にある有様」を知ることの大切さを説く。

 政治思想史研究者の著者は諭吉の言に端的に示される、徳川体制から明治新政府の確立の過程における政治思想の連続と転回を、西洋政治思想の受容を参照しつつ論じる。

 朱子学者佐久間象山は、蘭(らん)学を学び、開国論者、勝海舟・吉田松陰の師として著名である。象山の言葉に「東洋道徳、西洋芸術」がある。これは、「儒学=形而(けいじ)上」と「西洋科学=形而下」との折衷主義、実践的道徳と科学技術の併存の提唱ではない。象山は、朱子学が「泰西物理の学」との邂逅(かいこう)により、知の動揺を経て、道徳と科学を視野に収める知の方法、統治の実学として確立されることを提言した。

 福沢諭吉は、19世紀の西洋の思想作品に触発され、それらの提示する概念を日本社会の経験、すなわち「既にある有様」から抽出される概念の構成に利用した。例えば、諭吉が「政権=ガヴァメント」と「治権=アドミニストレーション」の概念を述べるとき、それらは政策決定権と行政実務の区分のように見える。しかしそうではない。これらは「政府の職分=国権」と「国民の職分=民権」の接する領域を論じるために提示されている。

 明治政府は「公務」の外に、「睡眠」「麻痺(まひ)」状態の人民を導く「私務」ともいうべき「職分」を担わざるを得なかった。政府の「私務」とは、人民が自前で担うべき「職分」を「先覚」たる政府が指導せざるを得ないことを示す。同時にこれは、公権力と社会が対抗し相補う中における知的エリートの位置の問題なのだ。日本の現実に即して、日本に適用可能な政治思想体系を構築しようとする諭吉の試みであった。

 統治エリートが、いかなる「日本」「亜細亜(アジア)」を考え、「既にある有様」を創(つく)りだしたのかが次のテーマとなる。

    ◇

 まつだ・こういちろう 61年生まれ。立教大法学部教授(日本政治思想史)。

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