[掲載]2008年10月27日朝刊
せな・ひであき 68年生まれ。東北大学大学院を修了、薬学博士。95年に『パラサイト・イヴ』で日本ホラー小説大賞。現在は作家、東北大機械系特任教授。著書に『八月の博物館』『ロボット21世紀』など。
科学書でわずか10冊の全集とは最初から無茶(むちゃ)な企画なので、いっそのこと思いきり遊んでみよう。今回の編集方針は明快で、まず何よりも読んでおもしろいことだ。しかしすべての科学ノンフィクションを対象にすると、『種の起源』や『ホーキング、宇宙を語る』など定番ばかりになってしまう。そこで乱暴だがここ10年の著作にあえて限定した。さらに原著発行年ごとに1冊として、なるべく領域も分散させた。1998年から2007年まで、いずれも新しい意味で人間や生命、宇宙を描き、私たちの心をつかみ、世界観を拡(ひろ)げてくれる10冊だと思う。
巻立ては年代順である。第1巻はノーベル賞を受賞した数学者ナッシュの伝記だが、彼の数奇な運命と共に著者の筆致が凄(すご)みを帯びてゆくさまは圧巻。映画版とぜひ比較してみてほしい。第2巻は自らも物理学者として活躍していた著者が、80年代以降注目を集める超ひも理論のエッジを描き切った一冊。本年ノーベル賞の南部陽一郎氏にも言及。後半に入って難解になるほどおもしろくなってゆく。
第3、4巻と卓越したサイエンスライターの作品が続く。前者はこれまで2度も邦題を変えて日本で再刊された、隠れた名作。読者を惹(ひ)きつける視点の取り方が見事だ。テーマは「ティッピング・ポイント」。噂(うわさ)が広がって急に商品が売れ出したり、雪崩のように世論が変わったりするあの瞬間には、新しいネットワーク理論が隠されているのだ。後者は長い休暇にロッジへ持ち込み、大自然の中でじっくり読み込みたい豊穣(ほうじょう)の一冊。
第5巻は電気椅子(いす)の開発の裏で繰り広げられた、エジソンとウェスティングハウスの闘いを描く迫真の技術史。直流と交流、処刑に採用された方が残酷で危険という汚名をかぶり市場を失う。異様な状況の中でひとり死刑囚の男らしさが際立つ。
03年、ワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見して50年のこの年、ヒトゲノム計画が完了した。第6巻はそれを記念して出版された、いわば米国発の公式ガイド本である。共著者のおかげで筆致は簡明で淀(よど)みないが、ときおりワトソン独自の思想が顔を出す。第7巻は金融工学の礎を築いた著者の自伝で、知性と人間味に溢(あふ)れた筆致が感動的だ。終盤では「生命とは何か」という命題にまで踏み込んでゆく。
なぜ地球上に生命は発生し、なぜこのように特異的な構造へと進化してきたのか。ノーベル賞を受賞し文才にも恵まれた著者が人生の総決算としてこの巨大な謎に挑んだ第8巻は、あえて科学のツールである化学式を駆使して、文章だけでは決して表現し得ない興奮へ読者をぐいぐい引っ張ってゆく。第9巻は著名な遺伝子学者がヒトゲノム計画以降の生命倫理を突きつける、先鋭的な語り口が印象的な一冊。なにしろ霊魂を巡る旅から話が始まるのだ。
最後に気鋭日本人研究者の著作を。ここで複雑系科学からアプローチされる生命の本質とは、私たちの「わかり方」をデザインし直す冒険の過程なのだ。
〈知の遊び〉の叩(たた)き台として10冊選んでみた。書店で科学の棚へ新たな一歩を踏み出す冒険のきっかけとなれば幸いである。
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文学を超えた科学書全集
第1巻『ビューティフル・マインド 天才数学者の絶望と奇跡』シルヴィア・ナサー著(塩川優訳、新潮社・2730円)▽第2巻『エレガントな宇宙 超ひも理論がすべてを解明する』ブライアン・グリーン著(林一・林大訳、草思社・2310円)▽第3巻『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル著(高橋啓訳、ソフトバンク文庫・819円)▽第4巻『「進化」大全 ダーウィン思想:史上最大の科学革命』カール・ジンマー著(渡辺政隆訳、光文社・6090円)▽第5巻『処刑電流 エジソン、電流戦争と電気椅子の発明』リチャード・モラン著(岩舘葉子訳、みすず書房・2940円)▽第6巻『DNA』ジェームス・D・ワトソン、アンドリュー・ベリー著(青木薫訳、ブルーバックス・上1197円、下1260円)▽第7巻『物理学者、ウォール街を往く。 クオンツへの転進』エマニュエル・ダーマン著(森谷博之ほか監訳、東洋経済新報社・2520円)▽第8巻『進化の特異事象 あなたが生まれるまでに通った関所』クリスティアン・ド・デューブ著(中村桂子監訳、一灯舎・2520円)▽第9巻『人類最後のタブー バイオテクノロジーが直面する生命倫理とは』リー・M・シルヴァー著(楡井浩一訳、日本放送出版協会・2730円)▽第10巻『動きが生命をつくる 生命と意識への構成論的アプローチ』池上高志著(青土社・2520円)
著者:シルヴィア ナサー
出版社:新潮社 価格:¥ 2,730
著者:ブライアン グリーン
出版社:草思社 価格:¥ 2,310
著者:マルコム・グラッドウェル
出版社:ソフトバンククリエイティブ 価格:¥ 819
著者:カール・ジンマー
出版社:光文社 価格:¥ 6,090
著者:リチャード・モラン
出版社:みすず書房 価格:¥ 2,940
著者:J・ワトソン
出版社:講談社 価格:¥ 1,197
著者:J・ワトソン
出版社:講談社 価格:¥ 1,260
著者:エマニュエル ダーマン
出版社:東洋経済新報社 価格:¥ 2,520
著者:クリスティアン・ド・デューブ
出版社:一灯舎 価格:¥ 2,520
著者:リー M.シルヴァー
出版社:日本放送出版協会 価格:¥ 2,730
著者:池上 高志
出版社:青土社 価格:¥ 2,520
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