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〈お笑い風土記・名古屋〉東西文化交錯が生む「芸人不毛の地」

2010年6月18日

  • 朝日新聞出版

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 大阪府8人、京都府4人、宮城県2人、埼玉、静岡、福岡、大分各県1人。

 M―1グランプリの歴代優勝コンビの出身地を見ると、関西の強さが飛び抜けている一方で、北からも南からも売れっ子芸人が出ていることがわかる。

 お笑いブームの影響からか様々な地で芸人が誕生し、最近では栃木弁漫才でブレークしたU字工事などローカル色豊かな芸人も数多い。

 その中で不毛の地なのが愛知県だ。地元の人に聞いても出身芸人で出てくるのは「青木さやかにスピードワゴン、キャイーン天野、はんにゃの金田。他は……」といった具合で、名古屋を中核とする第三の都市圏でありながら、大物芸人が少ない。

●漫才発祥の一大拠点

 産業界ではトヨタ、スポーツではイチローや浅田真央らがいるのに……。笑いへの関心が低いのだろうか? いやいや、その反対です、というのは、「名古屋文化」に詳しい南山大の安田文吉教授だ。

「名古屋は芸処と呼ばれる土地。現在のお笑いのルーツともいえる尾張万歳や三河万歳が今も残ります」

「万歳」とは、太夫と才蔵が鼓を打ちながら祝詞を唱える祝賀行事のことで平安時代の頃から続く伝統芸能だ。特に尾張万歳は格式にとらわれずに謎かけ問答を芸に加えるなど笑いの要素を増やし、江戸末期から明治にかけて大衆の間で人気を博した。これが、現在の「漫才」へとつながっている。

 ではなぜ芸人が出ないのか。東海地区唯一の常設寄席・大須演芸場で、長年地元の笑いを見続けている席亭の足立秀夫さん(76)は、開口一番に断言した。

「江戸時代からの伝統です」

 江戸時代の頃から、芸の一大拠点といえば首都・江戸と商都・上方。東海道が整備されてからは東西交流も盛んで、中間地点の名古屋では東西の芸人が興行を打った。1730(享保15)年に派手好みの遊び好きで傾奇者といわれた徳川宗春が尾張藩主になると、名古屋城下に芝居小屋の増設を許可し、芸事の一大拠点ともなっていた。

 芸処の土地柄に、江戸と上方の芸が交わる場。客が求めるレベルは高かったようで、幕末から明治にかけて人気を集めた歌舞伎役者の三代目中村仲蔵は自伝の『手前味噌』に「(名古屋は評価が手厳しく)実に恐ろしい所なり」と書き残したほどだ。そんな土地柄が逆にあだとなった。

●客の目肥えた試練の地

「黙っていても東西の一流芸人がやってくる。自分のところで芸人を育てる必要がまるでなかったのです。おまけに保守的でブランド志向。新人芸人を長い目で見守るなんてことはできないんですよ」(足立さん)

 大須演芸場で公演する名古屋在住の芸人はいるが、そのほとんどは東京や大阪から来た流れの芸人で、名古屋で修業した人はいないという。

 そんな土地柄ゆえか、大須演芸場にはデビュー間もない頃のツービートや明石家さんまが舞台に立っている。今田耕司、東野幸治は東海ローカルテレビ局の深夜番組で人気を確かなものにした。芸人はなかなか出なくても、芸人にとっては試金石となる地。それが名古屋ということらしい。

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